スマラン観光

ジャワ島中部の都市スマラン。170万人の人口を誇り、ジャカルタ・スラバヤ・バンドン・メダンと並んで、インドネシアの5大都市の一つ。日系企業も多く進出しており、在住者も多い。大都市なのだが、どこかのんびりしている。いくつか観光地はあるのだが、そこまで突出した観光地はないため、インドネシア人は立ち寄るが、外国人観光客はそこまで多くはない。日本との関係は深い。太平洋戦争が終結後、日本は降伏したが、いくつかの日本兵はスマランにとどまっていた。インドネシアが独立を宣言し、独立を認めないオランダと戦争状態に入る中、インドネシア人はオランダ軍と戦うための武器が必要だった。日本兵は武器を持っていたが、連合軍の指示により、武器をインドネシア人に渡してはならないという規則があった。そこで、武器が必要となったインドネシア人と、それを拒む日本兵は戦闘状態に陥り、両方に数多くの犠牲者がでた。インドネシア国内では5日間戦争という呼び名で知られている。スマラン市民でそのことを知らない人はいない。その際にブル刑務所というところに拘束されていた日本人が200名近くが殺害・行方不明になっている。現在はそのブル刑務所は、女子少年院として利用されている。

スマランの目抜き通り

ローカルマーケット。朝から活気がある

夜も賑やか。若者軍団は地べたに座る

   
 

スマラン基本情報

 

   
 

場所・地図

 

   
 

どんな街?概要

 

インドネシア屈指の大都市で、何もかもが揃っている。そしてコンパクトな街のため移動もしやすい。美味しい飲食店も多く、おしゃれなスポットもあり、治安も良い。住みやすい場所だと感じる。観光本やインターネットでは、Lawang Sewu ラワン・セウが一番の見所のように書かれていることが多いと思う。確かにLawang Sewuはこの街のシンボルだが、実際に行ってみると、さほど面白くはない。個人的には、夜のSimpang Limaと、Kota Lamaが良いと思う。あとはちょっとした教会やモスクもあるが、基本的には外から写真を撮るだけで終わると思われるので、そういったものはこのブログには記載しない。歴史を見たいなら、鎮魂の碑と、Ronggowarsito Museumもオススメだ。観光を簡単に終わらせてしまおうと思えば、Simpang Lima、Kota Lama、Lawang Sewuの3つだけを見てしまえば、一日で終わる。しかしこの街はご飯も美味しい。観光+ローカル的視点滞在を考えると、4日くらいあると、じっくり見ることができる。

   
 

スマラン観光

 

   
 

Simpang Lima

   

夜のスマランで最も賑わう場所だ。早朝は多くの市民がジョギングやロードレーサー自転車で公園周辺で運動している。特に早朝のロードレーサーの団体は見る価値がある。50台近い台数のロードレーサーが公園周辺の道路を高速で回っている。ずっと公園の周りを回っているだけなのだが、スピードも出しやすく、エクササイズにちょうどよいのだろう。早朝にここに来るのは良いが、日中は暑いので誰もいない。早朝と、夜に見に来るのが良いだろう。夜は涼しいので、市民が集って楽しんでいる。公園周辺では、ドラえもんなどのキャラクターの付いたかぼちゃの自転車や、電動バイクなどに乗って遊ぶことができる。公園内では市民が座ってくつろいでいる。ここまさしくスマランのシンボルだ。多くのローカル観光客が、ここに写真を撮りに来る。ここは来ることをおすすめする。

   
 

Pantai Marina

 

夕暮れ時になると人が集まってくる。市内中心部からそんなに離れてはいない。少しだけ入場料がかかる。海は汚いが、夕日を見る上では関係ない。海沿いのカフェには、多くの若者が集まる。

   
 

Kota Lama

 

このKota Lamaは、Semarang Old Townという名前で世界遺産になっている。インドネシアは長い間オランダの植民地になっていたが、1700年代にこの周辺のエリアはオランダの行う貿易や、オランダ国民の住居や軍事拠点のために利用された。作られた年代が1700年代なので、建物の形は、300年近く前のヨーロッパの建築様式と同じ特徴や装飾となっている。スマランの植民地時代の歴史を感じさせる古い建物が約50棟も残っている。マレーシアのペナンやマラッカのジョージタウンみたいなものだ。スマランで外国人観光客が最も集まる場所がここだ。他の場所では、欧米人を見ることは殆どない。Lawang Sewuは少し地味なので、ここに来ると、やっと旅行をしている気分になるだろう。写真を撮るスポットがたくさんあり、観光客が楽しそうに写真を撮っている。お昼から少し暗くなるくらいまでに滞在するのが良いだろう。あまり遅い時間だと誰もいなくなるし、暗いと写真を撮るのも難しくなる。このあたりには外国人が集まるようなクラブがあるようなので、そういったものが好きな人はこの辺に宿を取るのも良い。

   
 

Lawang Sewu ラワン・セウ

 

Lawang Sewuは1903年に鉄道駅として建設された。Lawang Sewuとは、ジャワ語で『千の門』という意味で、数多くの門があることから、その名の通り名づけられた。観光客はいるのだが、ドアがたくさんある建物……以上にあまり思うことがない。歴史を感じるというよりも、みんな写真を撮りに来ている。スマランのシンボルなので、とりあえず見に来るのが良い

   
 

Tugu Muda

 

Tugu Mudaは、スマランにおける旧日本軍との戦いで命を落としたインドネシア人の英雄たちを記念して作られたモニュメント。ろうそくのような形をしている。碑の台座の側面にはレリーフがある。オランダや日本の植民地時代に多くの人々が飢え・病気に苦しんでいたときのインドネシアの人々の生活や、国や民族の独立を守るスマランの若者たちが竹槍を持って抵抗する様子を描いている。台座の下には、旧日本軍と戦って亡くなったインドネシア人の遺骨があるとのこと。このモニュメントは、スマランの大通りの中心にある

   
 

Sam Poo Kong

 

Zheng He、日本語では鄭和(ていわ)と言う。中国の大航海時代を築いた海の英雄。13世紀頃の中国が明だった頃の宦官・武将。1371年に今の昆明のあたりで、イスラム教徒家族の次男として生まれた。元々の名前は、馬三保(Ma San Bao)という。馬という姓は、サイイド(預言者ムハンマドの子孫)であることを示す。明の侵攻で捕虜となり、その際に去勢されて宦官にされた。宦官とは、去勢された男子で宮廷や貴族の家に仕えた役職のことを言う。睾丸摘出手術などだろう。後に、明の皇帝の永楽帝から鄭和という名前をもらう。皇帝から、明の威信を四海に広めるべく、鄭和に南海大航海の指揮を任され、200隻の大艦隊と2万8千人の総員を率いた。東南アジア、インド、スリランカ、中東、アフリカまで航海した。マラッカ王国にも来ているので、マレーシアのマラッカにはCheng Ho’s Cultural Museum(鄭和文化館)がある。幾多の軍功を挙げて宦官の最高位に大抜擢された。華僑の多い東南アジア中に、鄭和を祀った寺院はいたるところにある。その中でも、このスマランにあるSam Poo Kongは観光名所として知られている。中華寺院なのだが、イスラム教徒であった鄭和が祀られているという興味深いことになっている。お土産屋もあるし、入るときになぜか入場料を払わされた。金額は僅かなものだが、なんで仏教寺院に入るのに入場料がかかるのかと思ったものだ。

   
 

Mall Paragon City Semarang

 

スマランはショッピングモールはたくさんあるが、このMall Paragon City Semarangが一番キレイで大きい。活気があってレストランも多いので、疲れたらここで休むのが良いでしょう

   
 

Masjid Agung Jawa Tengah (MAJT)

 

スマランで最も大きいモスク。美しい対象の形のモスクも良いですが、非常に珍しいものがあります。メッカにある、カアバ神殿の模型があります。本物はもっと何倍も大きいのでしょうが、黒い石まで再現されています。珍しいので、これは見る価値があると思われます。

   
 

Ronggowarsito Museum

 

ジャワ島中部の歴史博物館。そのためジョグジャカルタ関連の展示も含まれるが、基本的にはスマランの歴史が多い。当然、日本統治時代の展示もある。

いきなり占領しに来て、こんな通貨を使えと言われても嫌だよなあ。

   
 

Kampung Batik Gedong Semarang

 

一つの村の一角にあるストリートアートエリア。壁画で埋め尽くされた美しい壁と、バティックのショッピングが楽しめる。Kota Lamaから近いので、時間があれば立ち寄るのもよいだろう。

   
 

Kampung Pelangi (Rainbow Village)

 

インドネシアやフィリピンには、各村々で壁を虹色に塗ったり、青い色一色に塗ることによって、観光地化するような試みが行われていることはよくある。ここも壁の色を村全体で塗り替えている。が、あまり規模は大きくない。インドネシアで言えば、Malangの虹の村の方が遥かに規模が大きい。展望台まで登るのはさほどきつい坂ではないが、時間があったら寄って見る程度で良いだろう

   
 

Johar Market

 

スマランには古い市場がたくさんあるが、このJohar Marketもその一つだ。オランダ東インド政府が建設した。外部も内部も特徴的な形だ。服・靴・バッグなどが売られている。何度か大火災が起きているため、そのたびに修復されている。このJohar Marketは、1945年10月15日~19日にかけて行われた、日本兵とインドネシアの青年達との5日間戦争の舞台になった。この戦闘で、日本軍はJohar Marketの占領を目指した。市場の中で銃撃戦が繰り広げられ、手榴弾の爆発などで、建物も大きな被害を受けた。観光としては、少し見る程度で良いのではないかと思う。Kota Lamaに近いので、ついでに見るのが良い

   
 

Semarang Chinatown

 

『チャイナタウンに行くの?スマランのチャイナタウンに行くのは、週末の夜じゃないと駄目だよ。』友人がこのようなことを言っていたが、まさにその通りだった。日中に行っても、このチャイナタウンには何もない。中華寺があるが、特に見るべきものはない。しかし、ナイトマーケットはすごい活気があるらしい。もし金土日の夜にスマランに滞在するのならば、ここのナイトマーケットには絶対に行くべきだろう。

   
 

Toko Oen

 

インドネシア最古のファミリーレストランの一つ。Oenさんというオーナーのお店なので、Toko Oenという。Tokoはインドネシア語でお店の意味がある。料理のメニューはオランダ植民地時代のものになる。観光地のレストランなので、価格は少し高め。じゃあそんなに美味しいかというと、特にそういうわけではない

   
 

Monumen Ketenangan Jiwa 鎮魂の碑

 

鎮魂の碑。観光ブックなどには記載されていないと思う。海岸沿いにひっそりと建っている。おそらく、現地の日本人会の方などがたまに整備をされていると思われる。このブログには何度も記載をしてきたが、旧日本軍と現地インドネシア人との5日間の戦闘で亡くなられた方を祈念する碑だ。碑にはこう記載されている。

『この慰霊碑はスマラン事件で亡くなられた方々のご冥福を祈り建立されました。大東亜戦争集結後の昭和二十年十月十四日から五日間スマラン及びその周辺地域で、連合国より武器の引き渡しを禁止された日本と、国家独立にその武器を必要とするインドネシヤとの間に誠に不幸な戦斗が発生しました。この事件の渦中に巻き込まれた何等罪のない数百名の日本人が襲撃或は拉致監禁され、祖国への望郷と期間を夢見ながらこの地で非業の最期を遂げられました。誠に痛恨の極みであります。ブルー刑務所では、一五〇名余の命が失われて、この中には最後の言葉を、自分の体内から流れる血潮で刑房の壁に

インドネシヤの独立を祈る 万歳

と血書され亡くなられた方もいました。嗚呼想うだに悲痛断腸、壮絶涙極まりありません。五十三年の星露は去って還らず、今茲に北の方遙かなる母国に向けて殉国烈士のため鎮魂の碑を建立し、謹んで哀悼の意を表します。願わくばこの尊き犠牲が世界平和の礎となり、再びこの悲運を繰り返すことなく、延いては日、イ両国のさらなる友好親善の絆とならんことを念じ、英魂ここに安らかなる眠りに就かれんことを乞い願う。
平成十年十月十四日 青木正文』

実際に来るのは少し難しいです。この鎮魂の碑のある場所は、おそらく運送会社か何かの私有地になると思われます。とりあえず下記の地図の赤い丸の部分まで来ます。ここにこのエリアの入口があります。警備員のような人がいますので、一旦止められます。多分この私有地の会社の警備員だと思いますが、日本人の鎮魂の碑が奥にあることは知っていますので、『私は日本人です。鎮魂の碑を見に来ました(I’m orang jepan. Monument there)』などと伝えれば、多分分かってくれると思います。日本人が鎮魂の碑を見に来たのに入るのを拒否されることはないと思われますので、ここはすぐに通り抜けることができます。その後は、下記の赤い丸から、鎮魂の碑まで歩くことになります。車ではまず抜けることができない泥々の道です。幅も狭いので、車は無理でしょう。バイクで行く場合も、道が荒れ地なので、バイクの運転も容易ではなく、スピードを出すことができません。しかもバイクにも負荷がかかりそうでしたので、バイクドライバーに、『ここからは歩いていくのでここまでで良いですよ』と伝えて歩いていくことにしました。赤い丸から鎮魂の碑までは歩いて20分くらいかかるでしょうか。途中、少しだけ人が住んでいたり、ヤギなどの小動物がいますが、特に問題はありません。細い道を延々と歩くので多少不安にはなりますが。下記の写真のような道が続きますが、道に沿っていけば、鎮魂の碑が見えてきます。

   
 

Penjara Wanita Bulu ブル刑務所

 

現在は女子少年院のこの建物。70年前の5日間戦争時には、この建物内に勾留された日本人が150名余の非業の最期を遂げている。当然中には入れない。Google mapでPenjara Wanita Bulu ブル刑務所を検索すると、少しずれた場所が表示される。上記の地図の場所が正しいですので、上記の場所に行ってください。

   
 

Tentrem Mall

 

市内中心部にあるホテルを併設した小さなショッピングモールだが、天井の映像は一見の価値がある。アイススケート場があって、その上部の天井には、非常に幻想的な映像が流されている。Simpang Limaからも近いので、ちらっと寄ってみるのはいいだろう。

   
 

人気のレストラン一覧

 

Tahu Gimbalは、スマランではどこで見つけることができる食べ物だ。揚げ豆腐が主だが、テンペや海老、キャベツなどの野菜も少し混ぜる。その上から甘いピーナッツソースをかけて食べる。このお店は、Simpang Lima周辺で見つけた。スマランのソウルフードなので、ぜひ食べてみて頂きたい。

Soto Bangkong

このお店は開店と同時にお客さんがなだれ込んでくるSoto Ayamの超人気店だ。Simpang Limaからも近いので、是非試してほしい。なお、注文すると、なぜか肉串もついてくる。これは食べた場合には追加でお金を払うが、食べなかった場合はお金を払わなくても良い。

Nasi Goreng Babat Pak Karmin Mberok

Nasi Goreng Babatはいわゆるチャーハンに牛などの内蔵を混ぜたものだ。これもスマランのソウルフード。どちらかというとB級フード。大まかには、普通のチャーハンとさほど変わらないので、是非試してみてほしい。なお、このお店 Nasi Goreng Babat Pak Karmin Mberok もKota Lamaに近い超人気店だ。

Mie Kopyok Pak Dhuwur

Mie Kopyok は、スマランでしか食べることができない名物料理だ。ニンニクスープに油揚げ、もやし、セロリ、ロントンと麺を加えたもの。友人から、これだけは本当にスマランでしか食べることができないので絶対食べるべきだと言われたので食べた。なかなか美味しい。Mie Kopyok Pak Dhuwur このお店も超人気店だ。

Warung Makan Asem-Asem Koh Liem

中華系レストラン。ローカルに人気のお店だがハラムのため、基本的にはムスリムは入れない。基本的には……だが。一枚目の写真を見ればわかるが、大きな看板でお店の入口を隠している。中華系のお店は、外から見えないように入り口を隠しているお店がたまにある。

まるで、隠れている中で、悪いことをしているような気にもなってきますね……

Lunpia Cik Me Me

Lunpiaはスマランの代表的なお土産。インドネシアの人は、このお土産を欲しがる。揚げた春巻きのような感じ。酸味をきかせたソースをかけて食べるような感じだ。

Lekker Paimo

マレーシアで言うアッパムに当たるお菓子。一枚一枚はさほど高くはない。10円20円程度。狭い店内だが、このお店も人気店舗の一つ。若い人が集まる。

   
 

スマランへの行き方・アクセス

 

スマランはジャワ島中部であり、ちょうど首都ジャカルタとインドネシア第2の都市スラバヤとの中間に位置する。そのため、バスや電車で来る人も多い。実際にジャカルタ在住者が電車でスマランまで来ることは多いだろう。ジャカルタからスマランまで5,6時間だ。電車のクラスにも寄るが、片道2,3千円程度だろう。飛行機ならジャカルタから1時間もかからないだろう。どちらでも良いと思うが、僕は飛行機で来た。スマラン国際空港は新しく、設備も良い。ラップトップを開いて作業するスペースもある。無料Wifiも充実しており、充電も問題ない。なお、スマランから他の都市に移動する際にもこの空港から出発したが、2022年9月現在、コロナウィルスワクチンを3回接種していないと、この空港内に入ることはできなかった。空港施設内に入る際に、受付があり、そこで『ワクチンを3回接種されましたか?』と聞かれる。そこで3回接種している証明を見せると、入場して良しを示すような紙を渡される。インドネシアは3回接種を基準にしているので、2回では認められない。ジャカルタの一部の高級ショッピングモールでも、3回接種したかどうかを聞かれたりする。将来的にはどうなるかわからないが、とりあえずワクチン接種済み証明書を持っていくほうが良いだろう。

飛行機上空からの写真。左の海岸はPantai Marinaだ。その右側は、鎮魂の碑がある海岸だ。よくあんなところを、歩いて鎮魂の碑を見に行ったものだ。

   
 

スマランの空港・空港から市内まで行く方法

 

スマランは大都市だが、コンパクトにいろいろ纏まっている。そして、あまり高低差がないので、自転車で通勤している人も多い。自転車を利用する人が多い高松市のような感じだ。少し話がずれたが、コンパクトなので、移動にさほどお金がかからない。タクシーや、Grab・Gojekであっさり移動してしまった方がいい。バイクタクシーなら、空港から市内に移動しても200円程度で移動できる。しかし注意が必要なのは、インドネシアの空港に多い、バイクタクシーは空港には入れないという規制だ。下記はGojekを空港で利用した際のスクリーンショットだ。空港内にはバイクタクシーは呼べないようになっている。逆に言えば、空港の外まで出てしまえば、バイクタクシーを呼ぶことができるので、歩いて空港の外まで出てしまうのもありだろう。

また、もう一つの選択肢として、トランススマランという公共交通機関がある。ローカル旅行者はだいたいこれを利用する。価格は安いのだが、30分か1時間に1本程度だ。仮に乗れても、乗合バスなので、ぐるぐるぐるぐる回るので、目的地にたどり着くまでにかなりの時間がかかるケースがある。さっさとGrab・Gojekなどを利用するのが良いと思う。個人的にはゆっくりこのバスを待っていたら、バスが来るまで1時間近く待ってしまった。Grab・Gojekが安いのでそちらを利用するべきだったが、気が付かなかった。

   
 

公共交通機関

 

前述の通り、トランススマランという公共バスがある。しかし旅行者からすると、どのバスがどの場所に移動するのかをいきなり把握するのは難しい。スマランはそんなに渋滞が激しい都市でもないので、GrabやGojekなどを利用するのが望ましいと思われる。

   
 

ホテル・宿

 

ホテルに関しては、下記の2つの赤いエリアのどちらかでホテルを予約するのが良いだろう。Kota Lamaは観光地なので、外国人旅行者も多い。古き良きエリアのおしゃれなカフェや、夜はクラブなどもあるらしい。ここ以外のエリアでは欧米人旅行者を見ることはないが、このKota Lamaエリアは完全に観光エリアなので、治安も良い。下記に入口の写真を貼っておくが、Boboboxというインドネシアでは有名な高品質なカプセルホテルもあるので、ここに泊まるのは良いだろう。

南の赤丸のSimpang Limaエリアはどちらかというと、ビジネス・ローカルの繁華街エリアだ。スマランの目抜き通りなので、大型のホテルも多い。夜遅くまで人も多く、ショッピングセンターもあり、飲食店やレストランも遅くまで開いている。当然治安も良い。個人的にはSimpang Limaエリアに宿泊したが、スマランはそんなに広い街ではないので、脚力に自信のある人なら、街中を歩いて回ることもできる。Kota Lamaエリアに宿泊しようと、Simpang Limaエリアに宿泊しようと、そんなに大きな違いはない。

   
 

まとめ

 

大都市だけど、なんだかゆっくりしているスマラン。食も産業も全て揃っていて、バランスが良い感じ。人も穏やかに見える。住んでもいいかなと思える場所であった。治安も良い。観光としても、十分に楽しめます。もし訪問予定のある方が、このブログを読んでいただいて、情報を知っていただけましたら嬉しく思います。長いブログですが、読んでいただいてありがとうございますm(_ _)m

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