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サバ州旅行 北へ!サンダカン編 Vol.1

『私の住む街には、Pavilionのような大きなショッピングモールはないわ。だけど、海の近くには、HarbourMallというショッピングモールがあって、そこは街の人達の誇りなの』 早朝6時、古波蔵佑はタワウのホテルで目を覚ました。朝8時からのサンダカン行きのバスに乗るためだ。オンラインから予約をする予定だったが、アプリケーションがうまく動かずに予約できなかった。郊外の街行きバスのあるバスターミナルは、街の中心部にはない。市内から10km程度離れている。なぜこんな遠くにわざわざバスターミナルを作る必要があったのだろうか。佑は、早朝の街を少し見てから、できればローカルが利用しているバスで、バスターミナルに行きたいと考えていた。その方が安いし、何よりもローカルの目線で移動することができる。朝のタワウの街はとても静かだった。しかしすでに太陽は登っていた。同じマレーシアでも最も東に位置するこのタワウは、最も西にある首都クアラルンプールも太陽が昇るのはかなり早い。一時間半ぐらい違いがある。6時はもうすでに明るく、街を歩く人の姿も見えた。しかし、それは逆に暗くなるのも早いことを意味する。少し街を散策したところ、あまり大きな違いはないなと感じたから、佑はバスターミナルに戻った。ここはそんなに都会ではない。飲食店もそんなに朝早くから開いているわけではない。ましてやパンデミック中なのだ。とりあえず市内のバスターミナルに行き、始発のバスが何時かどうかを調べてみよう。行先が郊外向けバスターミナル方面になっているバスの場所は分かったが、何時に出発するかを聞いてみると、早くて7時40分発だった。それではとてもじゃないが、サンダカン行きのバスに間に合わない。やはりタクシーを使うしかない。ローカルバスには乗れないのは仕方ががないが、市内のバスターミナルの近くのお店は、朝早い時間に行き交う人々のためのお店がいくつか開いている事に気がついた。マレーシアのお饅頭のようなお菓子をいくつか買って、タクシーを呼んだ。タワウともお別れだ。10キロほど離れたバスターミナルへ向かう。ドライバーはとてもよく喋る男だった。兄弟はクアラルンプール周辺に住んでおり、彼だけがタワウに残っている。 『タワウはもともとのサバ出身の人達や、インドネシア・フィリピンの文化が混ざりあっていて、マレーシア半島のような人種による問題等は起こっていないよ。ここはいいところだよ』 ドライバーはそう言っていた。朝からいろんな話ができたドライバーに、Have a nice day!と伝えた。さあバスターミナルに着いた。なんでこんな遠いところにバスターミナルを作ったんだろう。不便なこと極まりない。ほとんど工業地帯の中にぽつりとバスターミナルがある。バスの発車時刻の8時までは、まだ時間は1時間ぐらいあった。とりあえずチケットを買おう。バスのチケット売り場には多くの人が並んでいた。タワウからサンダカンまでは、362キロあった。価格は47リンギットだった。正規料金ではあるが、6時間程度のバスで、47リンギットはずいぶん高く感じる。なぜかというと首都クアラルンプールから人気の観光地ペナンまでは約5時間程度だ。1時間程度短いとはいえ、30リンギット以下でもバスチケットは売られている。こっちは6時間で1時間ほど長いといえども、価格が20リンギットぐらい違う。ずいぶん金額が高いなと感じたが、クアラルンプール – ペナン間のような、多くの人々がたくさん利用するような路線と、こういう田舎の路線では、この価格の差は仕方がないことなのかもしれない。ちなみに、オンラインでチケットを購入すると、この47リンギット+システム利用料の7リンギットがかかる。利用料が追加でかかるとしても、事前に購入しておいたほうが安心感はある。バスのチケットを購入したあと、佑は広いバスターミナルを見て回った。広いバスターミナルとは合わないほどに、乗客や利用者の数は多くはなかった。朝食を食べる軽食屋があり、いくつかの人たちが朝ごはんを食べている。ご飯を食べているのは人間だけではない。軽食屋の店員があげているのだろう。猫もいる。働かないのにも飯や水をもらえるとは、よい身分だ。ご飯を食べて落ち着いた猫は、身繕いを始めた。どこに行こうと、猫はいる。バスのドライバーの声が聞こえる。サンダカン行きのバスへの乗り込みが始まった。サンダカン、それは、佑がずっと行きたかった場所であった。 サンダカンへの道は遠かった。朝早く出発するバスに乗り、6時間かけてじっくりサバ州の景色を見る予定であった。しかしその予定は当てが外れた。実際に見てみると、目に見える景色はパームオイルばかりだった。緑色の景色は悪くはないが、商業主義が目についた。美しい景色なんて言うものはほとんどなかった。朝8時から、午後2時くらいまで、同じ様な景色が続いた。強いていえば、マレーシア半島側のパームオイル農園を管理する企業と、サバ州内のパームオイル農園を管理する企業の名前や看板が少し違うだけだった。途中で、警察による検問があった。不法侵入者をチェックするポイントだ。通常は警察が、通行者のパスポートをチェックするポイントのはずだが、実際に警察がチェックしていたのはパスポートではなく、MySejahteraアプリを見て、ワクチンを接種しているかどうかを確認するだけだった。だから警察は、『ワクチンパスポート!ワクチンパスポート!』と言っていたのだ。パスポートよりも、ワクチン接種したかどうかに価値がおかれていた。佑は、世の中はよくわからない方向へ動いていると感じた。バスは一度だけ休憩した。ご飯休憩ではなく、10分程度のトイレ休憩だった。コタ・キナバル行きとサンダカン行きに枝分かれしている交差点を、右に回ったあとは、1時間ほどでサンダカンバスターミナルに着いた。まあ長い旅だった。サンダカンバスターミナルは、これも市内中心部から少し離れたところにあった。 バスターミナルは市内から離れていたが、そう遠くはなかった。タクシーアプリを使えば、5RM程度と安い値段で十分に行き来ができる範囲だ。まだ時間があったので、宿に向かう前に、佑は観光地であるアグネス・キースの家へ向かった。 アグネス・キースは米国人であり、イギリスの旦那さんがボルネオ島に赴任になった時に、同行して、そのままサンダカンに住んでいた。そのアグネス・キースが住んでいた家が観光地になっていた。ボルネオ島での暮らし、旧日本軍がサンダカンに来た時に勾留された時の内容を記載した小説が出版されている。実際に日本語での本の出版もされているようで、コタ・キナバルの書店で販売されているらしい。ただし、佑は戦争の歴史には興味があったが、この観光地よりも、この家に来る前に見えた海の景色に心を奪われていた。このアグネス・キースの家は丘の上にある。丘の上からの海の見える景色が、とても美しかった。これを見るために6時間かけてここに来たと言っても、何もおかしくはない、佑はそう思った。 すぐ隣には、English Tea House & Restaurantという有名なレストランがあった。バックパッカーの佑には似つかわしくなかったかもしれない。が、せっかく来たのだ。コーヒーを飲んでみたかった。よく見ると、欧米人の集団が近くのテーブルに座っていた。やっと観光業が始まったようにも見えた。懐かしい雰囲気だと思った。そういえば、昨日タワウのナイトマーケットで出会ったJohanは、ペナンに住んでいるオーストラリア人達と少し前に一緒に飲んだと言っていたのを佑は思い出した。もしかしたら彼らだったのかもしれない。丘の上から、何度も海を見た。サンダカンの海。海が見える街だ。美しい海岸線があるわけではない。丘の上から海が見える、それだけで、佑は胸が動いた。佑は、本日の宿のHotel Sandakanへ向かった。サンダカンは、漢字では、『山打根』と記載する。 日本人でも、サンダコンと読むことはできるだろう。そんなことを考えている間にHotel Sandakanに着いた。なぜかホテルに行ったら部屋が空いてなかったので、アップグレードして、ファミリールームになってしまった。泊まるのは佑1人しかいないのだが、ベッドが3つもある。 あまりにもアップグレードされすぎだと感じたが、不便はない。カーテンを開けたら、海が見えた。佑の心は華やいだ。ホテルのミネラルウォーターを飲み、かばんを置いて、サンダカンの街に出た。サンダカンの街は、タワウに比べて華やいでいた。広くはないが、狭い範囲に多くのお店が並んでおり、活気があった。サンダカンの商店の看板のデザインは、他国の有名なキャラクターを真似て流用したようなデザインの看板が多かった。日本のドラえもんや漫画のワンピース、映画のGhostbustersであるとか。海に向かうにつれて、更に街は活気づいてきた。Harbour Mallというショッピングモールが見えた。 田舎のショッピングモールに期待はしていなかった。しかし、その期待を裏切るものだった。Harbour Mall周辺は人が多く、ショッピングモール内も、きれいで多くのお店がモダンなものだった。活気あるショッピングモール内にいると、友人の言葉が思い出された。 佑は安心した。佑はあまり田舎が得意ではない。何もない場所は退屈にさせる。空白の時間ができることを、佑は嫌う。その意味では、佑は落ち着いた生活はできない性格だ。Harbour Mall周辺には市場があったが、夕方ではすでに多くのお店は閉まっていた。人が多く密集したこのエリアは、時に治安の悪さも感じさせた。狭い通り、ごみごみしたスーパーマーケット。佑はこういう雰囲気に離れているので、あまり気にならない。むしろ、こういう雰囲気のほうが佑にとってはある種の落ち着きを感じさせていた。 Fat Catというパン屋が、この狭いエリアに数店舗あることに気がついた。せっかくなので、どら焼きを買った。後で分かったが、Fat Catは、サンダカンに初めてできたパン屋の様で、多くの人々に利用されているらしい。実際食べてみると普通の味だが、地元の人の誇りであることはすぐに分かった。 ヒジャブを被っているとはいえ、フィリピンから来ている人も多い街のようだ。インドネシア人はマレー語を比較的近い発音で話せるようだが、フィリピン人はRの音に少し違いが出るようで、ローカルの人からすると分かるらしい。いろいろ散策をしていたら、だんだん夕陽の時間が近づいてきた。港街に来たからにはやっぱり夕日が見たかった。事前に調べていたが、Nak Hotelというホテルの最上階にRooftop Barがある。名前は、Balin Roofgarden Bistro & Bar。日が落ちるのは、夕方6時ぐらいだ。夕日を見るために目的の場所に行くときは、ハラハラする。間に合わせたいという想いは、旅人を焦らす。今は夕方5時半だ。少し足を早めよう。最初は違うバーに入ってしまった。問題ないとは思うが、サンダルでRooftop Barに入れるかどうかもはっきりしない。ぎりぎり間に合って着いたそのバーでは、少し夕日が落ちかけていた。ローカル中国系と思われる人達が、子供たちも含めて席を取ってみんなで写真撮影を楽しんでいた。確かにおしゃれなバーだから、写真スポットにもなるだろう。佑はお酒を頼んだ。この旅で最初のビールだ。暮れゆく夕日を眺めていると、あの歌が頭に出てくる。 僕はサンダカンにいるんだ。日が落ちた後のサンダカンを歩いてみる。夜の雰囲気はまた変わってくる。あれだけ人がいた街も、夜7時になると人の姿もめっきり減って、多くの店が閉まっていた。とはいえ、海沿いにあるレストランはまだ人が多くいたので、そんなに暗いわけではない。佑は海沿いのレストランでご飯を食べた。街中は人が少し減ったぐらいでそんなに雰囲気は変わらないが、なぜか夜遅くなると、先程の賑やかであったHarbour Mall周辺に、おばちゃん達がずらっと並んで椅子に座っていた。佑は何をしているのかと見てみると、女性達はタバコを売っている。近くによると、袋から、普段のお店では見れないようなブランドのタバコを売っていた。タワウにいた頃から気づいていたが、サバ州の人たちは、普通のコンビニエンスストアや商店で販売されているような、Dunhillのような正規のタバコを最初からあまり持っていない。飲食店のテーブルに置いてあるタバコを見ても、見慣れないようなブランドのものを吸っている。単純に政府管理されていない違法タバコということだ。しかし違法とはいえ、誰もが吸っている。この手のタバコは、マレーシア半島にもいくらでもある。政府の税収が下がることと、British American Tobaccoなどのタバコメーカーからすると儲からないという欠点はあるが。おばちゃんが声をかけてきたから、知らないふりをして話を聞いてみた。佑は忘れていた。この街でも英語は通じない。タバコを買わないかと言っているのは分かる。How...

サバ州旅行 熱風タワウ編

ほぼ定刻の9:30に、飛行機はタワウ空港に降り立った。 飛行機から見えた景色は、一面が緑だった。山の緑色だけではなく、ときおり等間隔に整列された木も見える。パームオイルの木だ。ここマレーシアでは、パームオイルの実から取れる油を輸出することが一大産業だ。ここタワウのあるサバ州だけではなく、他の州もどこでも、国土の多くの場所にパームオイルが植えられ、農園ができている。一度植えれば、あとは果実が育つのを待つだけだ。育った実を収穫するのは、破れたシャツを身にまとい、汗を流しながら刺又を手に持つ外国人労働者だ。暑いなか厳しい労働を行うのは、ローカルマレーシア人ではない。周辺国のインドネシアやフィリピンから、低収入でかき集められている。大きく育ちすぎたパームオイルの木は、焼かれ、また新たに新しい木を植えられる。その繰り返しだ。このマレーシアの大地の数十%はパームオイルに利用されている。飛行機が降下中に、古波蔵祐(こばくらたすく)は、そんな事を考えていた。飛行機は70%くらい席が埋まっていた。Covid19によるパンデミックが始まって以降、自由に旅行をすることはできなくなった。飛行機に乗ることも簡単ではなくなった。米国ファイザー社がコロナワクチンを開発して以降、世界中でワクチン接種が始まった。他の製薬企業も、その波に乗り遅れまいとワクチン開発を勧めた。ワクチン接種した者のみが、飛行機に乗ることができる。佑もワクチン接種した一人だ。佑だけではない、この飛行機に乗っている他の乗客もそうだ。 タワウ空港は小さな空港だ。乗客は飛行機から降ろされ、歩いて空港に入る。中に入るとスタッフが、マレーシアのコロナ追跡アプリケーションMySejahteraをチェックしてワクチン接種済かどうかのチェックをしている。空港スタッフはパスポートをチェックしているのではない。ワクチン接種済みかどうかのほうが重要のようだ。ちなみにサバ州は連邦政府から独立した行政権を持っており、外国人やマレーシアの他の州に住む人々は、サバ州入国時には入国審査を受けるようになっている。入国審査場に着くと、乗客のほとんどはローカルマレーシア人であり、外国人は佑だけだった。そのため佑だけは、外国人専用レーンに並ぶことになった。外国人専用レーンに並んでいるのは佑だけであった。しかしそれは、かえって良かった。外国人専用レーンには、他の人が全然並んでいないため、列に並んで待つ必要がなかった。実はサバ州に入る時の入国審査は少し不安があった。なぜかというと、マレーシアでは州によって入国の基準を自由に変えることができる。そしてCovid19のパンデミック以降は、州によって全く異なる入国基準を持っていることがある。サバ州もそのひとつだ。サバ州はマレーシアの中では最も国境を開けるのが遅かった。先月まではマレーシアにずっと居住している外国人すらも入る事が許されなかった。(なぜかローカルマレーシア人の入国は許可されていた)しかし今月に入ってからマレーシアに住む外国人も入国を許可された。そして入国時にCovid検査は必要ないということに変わったという記事がでてきた。しかしそれが実際にそうなっているのかどうかは実際に来てみないと分からない。そのため、佑は事前にサバ州のツーリズムデスクに問い合わせをしていた。サバ州のツーリズムデスクに聞いたとおりに手続きを行っていれば、入国は問題ないはずだ。誰かが言っていたとか、新聞で記事を見たとかでははっきりしないが、サバ州のツーリズムデスクが言ったことに沿って行動をしていれば、例え問題が起きて入国拒否されても、戦える材料はある。ツーリズムデスクからの回答はたったひとつだった。サバ州のウェブサイトから、入国の申請をしてください。それだけだった。実際に入国審査は非常にスムーズだった。2,3分程度で終わった。全く問題なく入国ができた。やっとサバ州に入ることができた。そう感じた。実際にはおそらく業務としては、飛行機でクアラルンプールから出発する前にすでにチェックが行われていたと感じた。実際に入国時に問題がありそうであれば、飛ぶ前に拒否されていると思った。なぜならばAirAsiaの航空券は、スマートフォンのアプリ上に保存されていた。本来はわざわざカウンターで、航空券をプリントアウトする必要はなかった。しかし、空港のスタッフから、『サバ州の場合は、空港のカウンターの方でチェックをした上、あえてプリントアウトする必要がある』と言われた。その時はめんどうなものだ、と感じたが、おそらくその際にチェックをされてたんだと思われる。この乗客はワクチン接種済みであるかどうか?、サバ州入国可能であるかどうか?。どちらにせよずっと入りたかったサバ州タワウに、佑は入ることができた。入国審査を終えて、やっと入れたその空港は小さかった。荷物は小さなバックパックだけだ。佑は、数日だろうが数ヶ月だろうと、小さなバックパックだけで旅行をする。荷物受け取りにも並ばずに、すぐに空港の出口に向かった。いつものわくわくする瞬間が戻ってきた。ゲート出ればそこは、もうタワウだ。初めて来る場所。懐かしいこの感じ。パンデミック前はどれだけこの感覚を味わっただろう。2年近くこういう感覚が味わえなかった。懐かしい雰囲気だ。ゲート前には多くのタクシードライバーが旅人を待ち構えている。到着して家族と出会っている乗客もたくさんいた。 タワウ空港からタワウの街へは便数は少ないが、バスがあると聞いていた。しかし実際に来てみると、もうバスはなくなっていた。おそらくパンデミックの影響で、バスは運行を取りやめてしまったのだろう。観光客が来ないならば、しかたないだろう。空港周辺で何人かに聞いてみたが、やはりバスは無いようだった。佑はスマートフォンを手に取り、Grabアプリを開いた。タワウ空港からタワウの街まで約30キロ程度だ。ドライバーはすぐに見つかった。さぁ行こう。久々の旅が始まる。ドライバーは無口な男だった。空港から街まで、この田舎の風景を見ながら向かった。緑とパームオイル、その景色の中心には、道が一本だけある。それが目に入る景色だった。ドライバーは無口な男だったが、街に近づくにつれて話を始めた。少し前まで、サバ州の州都コタ・キナバルで働いてたようだ。そして故郷のタワウに戻ってきたが、賃金はもう本当にタワウは安くて、この街は本当に何もない。そう言っていた。話をしていて思ったが、あまり英語が上手ではなかった。このタワウはマレーシアの首都クアラルンプールから最も遠い場所にある街だ。 ホテルに着いた。Marco Polo Hotelと言う比較的大きなホテルで、地元では有名なホテルのようだ。確かにホテルの外観はなかなか良い。しかし、中はすごく古めかしかった。ホテルの部屋もソファーのカバーもベッドのシーツもいまいち余りきれいとは言えなかった。しかしホテルのスタッフはとてもホスピタリティがあってフレンドリーだった。チェックインを済ませ落ち着いた後、外に出た。明日の朝早く、サンダカンに旅立つので、バスチケットを買う必要があった。そのため、ホテルスタッフに事前に聞いていた、バスターミナルに向かった。小さなバスターミナルの周辺はすごくごみごみしていた。バスターミナルはまとまりがなく、どこに何があるかさっぱり分からなかった。受付場所も、看板もない以上、座っているドライバーらしき人に聞くしかない。タワウに来て気づいたが、多くの人は、マレーシア半島のように英語が堪能ではない。ドライバーらしき男も、そのうちの一人だった。 『明日の朝サンダカンに行きたいんだが、どこでチケットを買えるんだ?』 『マレー語は話せるか?』 『Satu Satu Dua Dua Jalan Jalan Makanだけだ』 佑もドライバーも両方困った。ドライバーは、ちょっと待ってくれとジェスチャーをし、知り合いに電話連絡をしてくれた。何がどれだけ伝わっているのか分からなかったが、まだ急がないといけない時間ではない。任せてみた。 『知り合いから直接連絡をさせるので、連絡先を教えてくれ』 佑は連絡先を交換した。 タワウの街は、ローカルマレーシア人と、インドネシアのスラウェシ島からやってくるBugisという民族が多く居住している街だ。そういえば、佑が昔スラウェシ島のマカッサルに行った時に、この島にはBugisという民族がいて、その民族はお金持ちが多いという話を聞いたことがあった。佑は、過去に聞いたことがある話の答え合わせをしているような気分だった。面白いのは街の商店の看板だ。マレー語では商店のことを、KEDAIと言うが、インドネシアでは商店のことを、TOKOという。ここはマレーシアなので本来はKEDAI○○という看板しかないはずだが、ここタワウにはTOKO○○やKEDAI○○と両方のお店があり、並んで立っている非常にユニークな光景が見えた。 しかしここは国境の街でもあって、フィリピンにも近い。結構多くの人がタバコを吸っていた。佑はタバコは吸わないが、旅に出ている時はたまにタバコを吸うことがある。小さな商店でタバコを一本だけ買う時に、近くにいるローカルマレーシア人かインドネシア人かどうか分からない男に聞いてみた。 『何のタバコを吸っているの?何か見た事ないタバコだね』 『あぁ、これはフィリピンのタバコだね』 なるほど、文化が混ざっているのだ、このタワウの街は。マレーシア、インドネシア、フィリピンの、それぞれの文化のいいとこ取りをしているのだ。タワウの街のすぐ近くに、Sebatik島というところがあるようだ。この旅の途中、佑は何人かにその島の名前を聞かれた。その島に渡れば、すぐにインドネシアの国境に行けるようだ。パンデミック前は、インドネシア人も普通にイミグレを通過せずに、船でタワウに入ったりしていたようだ。しかし、さすがにパンデミック中は、国境の警備隊が監視しているようでそれはできなくなっているようだ。つまり、不法入国は誰も気にしないが、コロナの蔓延は良くないということなのだろう。まぁ、別にそんな気にするような大きな話ではない。佑は少しお腹が減っていた。地元の人で賑わっている、少しおしゃれなお店に入ってみた。とはいえ、ぶらりと入っていったわけではない。佑は事前に食べたい店を調べている。計画的だ。家を設計をする時は、設計士は、2度木を切っていると聞いたことがある。一度目は設計時に、二度目は実際に木を切るときだ。それとよく似ている。佑もすでに、計画時に一度店を訪れている。インドネシアといえばアボガドジュースだ。昔何度もインドネシアを訪問した際に、インドネシアのアボガドジュースは安くて美味しいことを知っている。待てよ、ここはマレーシアだぞ、インドネシアではない。なぜ佑は、ここがインドネシアだと思っているのだ。 佑がタワウにきた理由の1つとして、このタワウは数百人の日本人が約100年ぐらい前に住んでいたこともある。戦前の日本の資本家がタワウにやってきて、ゴムの農園などを開拓していた。その資本家が出資した農園で働くローカルの人が、当時たくさんいた。その時の名残がこのタワウには通りの名前として残っている。その1つが街の中心を貫く大きな通りの1つ、Jalan Kuharaだ。現在はもう名前しか残っていないだが、ローカルの人は日本人の名前だということを知っていた。佑は看板以外に何もないことが分かっていても、その通りを見てみたかった。タクシーを使うには短すぎた。佑は歩くことを選んだ。Jalan Kuharaの次はJalan Dr Yamamotoだ。これは農園で働く医師の名前が山本だったようだ。おそらく農園で働いていた昔の人達が何か病気があった時に山本に会いに行こう!そうなっていたようだ。 次は、Jalan Nissan Nourinだ。日産自動車の母体となる会社の一つがここにあったようだ。ゴム農林を経営していたらしい。そして最後の一つは、Jalan Kubota。ここは非常に大きかった。通りの名前だけでなく、若い人で賑わう広場そのものにKubotaの名前が付けられていた。Kubota Squareだ。Kubota Sentralもあった。今風のおしゃれなカフェやレストランがあったり、オフィスタワーもあった。紛れもなく、ここはタワウの中心地であった。 佑も、これはさすがにびっくりした。100年も前にこの地に日本人がいて、その歴史は未だに残っていた。名前だけだけども。 WhatsAppに、見知らぬ番号から連絡が入っていた。Weiganと名乗る男だった。マレー語のメッセージが届いていた。あのバスのドライバーの件だろう。佑は英語で返したが、数分後、こう返信が届いた。 『英語が分からないので、マレー語で頼む』 佑が翻訳して、返信をする。すぐにマレー語で返信が届いた。 『サンダカンまでのチャーターが可能だ。私は信頼できるドライバーだ。片道450RMでどうだ』 佑は呆れと怒りが混じった感情に囚われ、メッセージを見た瞬間に返信した。...