Category: Banda Aceh

津波の過去と敬虔なイスラム教徒の住む街 バンダアチェ

  この記事では、インドネシアスマトラ島の北西部、バンダアチェの情報・観光について書きます。 インドネシア国内でも、最もイスラム教が強い地域として有名です。基本的に、サウジアラビアに近ければ近いほどイスラム色が強くなる傾向があります。 ですが、料理もおいしく、人々も優しいのでゆっくりできます。 津波の過去があるため、日本人と言うと、同じ辛い過去を分け合う同士みたいにみられます。 ムスリム文化も体験できるので、なかなかお勧めです。     目次【本記事の内容】 1.バンダアチェ基本情報  1-1.どこにあるの?場所・地図  1-2.どんな街?概要 2.バンダアチェの観光について  2-1.お勧めスポット  2-2.こんなことが楽しめる  2-3.食文化 3.バンダアチェへの行き方・アクセス  3-1.バンダアチェの空港・空港から市内まで行く方法  3-2.公共交通機関  3-3.ホテル・宿 4.まとめ   バンダアチェ基本情報 スマトラ島北部は、1600年辺りからアチェ王国という独立したイスラム国家ができる。アチェ王国はイスラム商人のネットワークなどにより巨大な勢力となり、コショウなどの産業で利益をあげていった。 英蘭協定により、マレーシアの地域はイギリスが支配し、他のインドネシアの地域はオランダが支配していいよと欧米列強が勝手に決める。その後、イギリスの許可を得たオランダは、インドネシアの他の地域を積極的に攻撃していく。 インドネシアの地域は次々とオランダに支配されていく。1873年からのオランダ対アチェ王国のアチェ戦争によって、アチェは他のインドネシア地域と同じように、オランダの植民地となった。 インドネシアが独立した際に、同じように独立したが、元々がアチェ王国である。民族的にもアチェ族のため、1950年ごろから独立運動を展開している。インドネシアのスハルト政権下で、天然ガスなどの資源がインドネシア政府に搾取されているとして、ゲリラ組織「自由アチェ運動」(GAM)が結成される。スマトラ島北部の独立を宣言し、武装闘争を始めた。このアチェ紛争でインドネシア軍と戦っていたが、2004年のスマトラ島沖地震の津波で大きな被害を受け、戦いは断念。 現在は和平協定を結んでいる。 もともとはアチェ王国で、オランダ統治下のインドネシアとしての時期が そんなに長くないことを考えると、独立意識の高さは仕方ないようにも見えますね。   どこにあるの?場所・地図   スマトラ島の最北端ですね。インドネシアで最も北西にあります。バンダアチェから船に乗り1時間くらいのところにサバン島という島があり、そこにはインドネシア国家の始点に当たるゼロポイントがあります。 バンダアチェのローカルには、何で行かないの?と言われましたが、いやいやなぜに俺が行くのか?と少し思いました……。       どんな街?概要   ちょっと特殊な街なので、インドネシア人ですらあまり行きたがりません。バンダアチェに入りたがらないというよりも、アチェ州自体に入りたがりません。なぜならば、アチェ州は宗教警察が存在します。国の法律と州の法律とは別の、イスラム法に準するかどうかで罪に問われます。イスラム法の事をシャリーアといいます。イスラム法に違反したことをすると、宗教警察に身柄を拘束されます。外国人であろうと同様に身柄を拘束されます。...