Author: Hiro

マレーシアで猫と犬の世話のボランティアの薦め @SPCA Selangor

          皆さん、何かボランティアはしていますでしょうか? また、なにか社会と関わりたいとか、社会に役立つための行動をしたいと思っていますか? 僕は何かをしたいとはずっと考えていましたが、長い間、いまいち見つかりませんでしたが、猫が好きなので、保護された猫や犬の世話をするボランティアを長く行っています。 もしかしたら、同じようなことを探されている方もおられるかもしれませんので、ちょっとブログにすることにしました。   マレーシアにもいろんなボランティア活動をしている団体がいて、代表的なものは、Soup Kitchen(スープキッチン)でしょう。スープキッチンとはいわゆる炊き出しのことで、貧しい人・困ってる人に無料で食事を提供する活動のことです。多くの場合は、その団体が寄付を募って、食事を大量に調理して特定の場所で配布したり、もしくは、大手ホテルなどと提携して、余った食材を寄付してもらうようにしているところもあるでしょう。 マレーシア国内では、おそらく20を超える団体がいて、参加しようと思えば外国人でも参加できるでしょう。 僕もマレーシア地場のスープキッチンに参加したことがあります。とはいえ、基本的にスープキッチンに関しては、マレーシア語が話せるともっと活動の幅が広がるなぁと感じたものです。 僕は猫が好きなので、猫のボランティアに参加することにしました。時間があるときに訪問して、猫の世話をするようにしています。猫の世話に比べてタスクは少ないですが、犬の世話もできます。 マレーシアで代表的な猫のボランティアセンターとしては、SPCA Selangorでしょう。参加してから1年半以上経っていますので、なんとなくいろんなことが見えてきています。他の動物保護センターには行ったことがないのですが、他の動物保護センターに行ったことがある友人の話と比較しても、このSPCAはしっかり運営されていて、猫や犬の世話も手厚いことが分かってきましたので、紹介しても良いかなと思っています。 なお、同じSPCAでも、地区が違うと運営状況や、運営費用を支払っている個別のスポンサーも異なると思いますので、SPCA Singaporeや、SPCA Penangが同じ状況かどうかは全く分かりません。本記事は、SPCA Selangorについてのものです。       目次【本記事の内容】 1.SPCA Selangorとはなにか?  1-1.SPCA Selangorのボランティア参加方法  1-2.実際のボランティア作業の流れ 2.まとめ     SPCA Selangorとはなにか?   SPCA Selangorは、Ampangにある、猫と犬の保護施設です。 最寄り駅は、LRT Ampangか、LRT Ampang...

1942年3月18日に日本軍がマレーシアのTitiという小さな村で起こした大虐殺事件(慰霊碑地図付)

    まずは、下記を一度読んでほしい。       マレーシアに住み始めてから8年程度経ち、多くの場所を訪れたが、どこにあるのかが分からない場所が1つあった。 「昔、日本がマレーシアを統治していた頃、日本軍が一つの村の村人達を全員殺害し、証拠隠滅のために村中に火をつけた……」という話を聞いたことがあったのだが、本当かどうかも分からなかったし、その場所自体の情報も少なく、長い間分からなかった。 特に東南アジアではこういう話は多い。インターネットで探して見つかるものもあるし、ローカルの方から、このあたりで昔日本軍が多くの人を殺害したんだと突然言われることもある。 旅行先に日本軍関連の史跡がある場合は、個人的にもよく足を運んだ。インドネシアやフィリピンもそうだが、マレーシア国内にも日本軍関連の史跡は多い。     今回、その村の場所がわかった。 首都クアラルンプールから70km離れたところにある、Titi(中国語では知知)だ。     香港の英字新聞 South China Morning Post の記事を読んだことで判明した。下記引用。   ※South China Morning Postの記事は、パソコン上のブラウザで開くと有料会員以外は先が読めないが、実は会員でなくてもスマートフォンのブラウザで開く際には先が読めることが多い     On March 18, 1942, the Japanese army rounded up 1,474 men, women and children...

ガイドブックに載らない本当に行くべきディープなコロンボの観光スポット

スリランカの最大都市コロンボ。ですが、コロンボは首都ではなく、正確にはコロンボの隣にある、Sri Jayawardenepura Kotteという場所が首都という扱いになります。が、基本的に観光客は誰もそのことを知らないですし、立ち寄ることもまず無いと思います。 スリランカに10日間滞在して、多くのローカル市民と関わってみて感じることは、 物凄くフレンドリーな国民性 国家が経済破産宣言をしたので、表面的には通常通りの生活を送っているが、『金が無い』が口癖の人が多い 基本的に治安は良い。騙してお金を取ろうとするScammerは多いが、断ればしつこくはない(場所にもよる。観光地や市内中心部は夜歩いても問題ないが、コロンボ市内北部は治安が悪い) 日本や日本人に対するイメージは良いが、日本の文化に対してはさほど興味はない。東南アジア諸国に比較すれば、スリランカには日本食レストランなどは著しく少ない(インドやバングラデシュでもそうだったが、南アジアの人は遠いからなのか、あまり日本文化に興味はない) 飯は南インドとほぼ同じ。(マレーシアにあるインド料理ともほぼ同じ) コロンボ市は人口100万人未満であり、基本的には田舎。そのため、レストランなども夜8時には閉めるので、夜は人通りが少なく、真っ暗。娯楽が少ない(コロンボ都市圏としては200万人近くはいるが、それだと相当広くなる) セブンイレブンなどのコンビニもないので、夜10時をすぎると、水や食料を買うのが少し難しくなる 酒を飲んだり、遊ぶなどのナイトライフは少ない。その反面、カジノは24時間開いている。 日本などの東アジアとは、だいたい3時間程度の時差があるため、意外と友人との連絡には困ったりする 多くの外国人が感じる通り、コロンボは基本的に退屈な街です。ガイドブックによく記載してあるような建物やお寺は、見るだけで終わってしまうものも多く、外国人旅行者はあまりコロンボには滞在しません。比較的大きな町なのにも関わらず、娯楽はゼロです。旅行者の多くは、コロンボを起点としか考えません。第2の街キャンディや、アヌラーダプラ・シーギリヤなどの遺跡エリア、もしくはヨーロッパ人が好んでいくスリランカ南側のリゾートエリアに行くまでの通りすがりになります。スリランカは美しい自然を満喫する国だといえます。アジア人旅行客の滞在は短いですが、ヨーロッパ人は1ヶ月以上滞在する人が多いように見えます。後述しますが、TukTukをレンタルして、自分で運転してスリランカを一周する旅行者も多いです。この記事では、『ガイドブックに載らない本当に行くべきディープなコロンボの観光スポット』と記載した通り、自分が訪れて、これは面白いと本当に感じたものだけを記載します。 Jami Ul-Alfar Mosque.。このモスクはデザインも良いですが、両脇の壁の形も非常に興味深いですね     目次【本記事の内容】 1.コロンボ基本情報  1-1.場所・地図  1-2.どんな街?概要 2.コロンボ観光  2-1.Aluthkade Streetfood  2-2.Galle Face Green  2-3.Fort Railway station周辺のPub  2-4.Colombo Lotus Tower  2-5.The Gallery Café  2-6.Kelaniya Raja Maha...

経済破産宣言をしたインド洋の真珠 スリランカを訪問してきた感想と日本の近い将来

The Pearl of the Indian Ocean 日本語にすると、『インド洋の真珠』。スリランカは自然が美しいことから、英語の記事でも実際にそのように呼ばれている。スリランカはあまり都会ではなく、自然が多い国だ。人口は約2000万人。台湾と同じくらいだが、一人あたりの経済規模は台湾の10分の1もない。首都コロンボですら、夜8時をすぎると、多くのレストランはお店を閉めるし、街は暗くなる。旅行先としては、アジア人からするとさほど有名な場所でもない。 素晴らしい世界遺産と世界でも稀に見るほどのフレンドリーな気質は、ヨーロッパ人に向けられることが多い。スリランカを観光で訪れる国は、コロナ前とコロナ後では大きく変わった。中国人観光客をあてにしていたスリランカだが、コロナで中国人は来られなくなった。観光産業が重要なスリランカは、その代替として、ロシア人とウクライナ人に目をつけ、両国の入国に関するビザ要件を緩くした。そのため、現在最も多い入国者は、ロシア人であり、その後はウクライナ人、イスラエル人、ドイツ人、イギリス人などが続く。スリランカは南アジアに位置するが、アジア人はもともと観光客としてはさほど多くない。日本人、韓国人も、2022年の政変以降はばったりと来なくなった。お隣のインドからは、ある程度の観光客は来るようだが、実際に消費するお金の額を考えると、ヨーロッパ人に熱い視線が注がれている。街を歩いていればロシア語が勉強できるくらい、確かにロシア人が多かった。ロシア語独特の、果実を口で潰しているような発音がよく聞こえる。ロシア人は戦争の影響もあり、数ヶ月単位、いやもはやロシアには帰らないレベルで滞在している人も多い。イスラエル人やドイツ人も数ヶ月単位の滞在を問題としない。 2022年7月、対外債務を支払えないとして、スリランカは経済破産を宣言した。 紅茶・観光に大きく依存したスリランカ経済は、コロナで観光収入が激減することに耐えられなかった。中東からオイルを購入するお金もなく、一時はスリランカで取れる紅茶葉と中東からのオイルを物々交換する協定も結ばれた。混乱を極めた生活は、IMFから3000億円を一時的に借りることで、現在は通常通りの生活が送れているように見えた。停電が一日に1時間程度起こるが、ガソリン不足などの混乱は見られず、表向きに関しては、市民生活は何も変わらないように見えた。人が行き交うショッピングモール、レストラン……旅行者の私からしてもさほど変化は感じなかった。 『国家財政が破産をしても、庶民生活はさほど変わらないものなのだろうか?』 確かに一見は変わらなかったが、出会う人々と話をしていると、彼らの多くは『No Money』を頻繁に口にする。首都コロンボで最も多く人が集まる場所のGalle Face Greenに集まるスリランカの人々は友達と楽しそうに談笑し、笑顔で満ちている。しかし、路上に寝ている人もいる。歩いていると、『金くれ、金くれ』とせがんでくる人も多い。今までどこの国に行っても、ここまでお金をせがまれることはなかった。屋台のおばちゃんも、『金が無い。それが唯一の問題だ』という。スリランカ人は外国人を見ると話しかけている陽気な人が多い。私はショッピングモール前で座ってローカルと一緒に談笑していたので、私から彼らに、『外は暑いだろう。ショッピングモール内のカフェでも行ったらどう?』と聞くと、『カフェで飲む金が無い』と言っていた。 スリランカ庶民の平均月収は150USD程度だ。優秀なスキルを持った人は、300USD位もある様子。2022年からの世界的なインフレでスリランカ国内の物品の価格は大きく上昇した。そして、米国の金利上昇と経済危機により、下記のようにスリランカ通貨ルピーは大暴落をした。80%近く下落をしているので、多くの人が多額の財産を失っただろう。その通貨の暴落が、輸入品の価格をも大幅に引き上げた。手にできる収入は変わらないのに、支出は大きく増えた。目に見えないところで、庶民の生活は厳しくなっているのは感じた。 『あの日以来、いろいろ難しくなったわ』 バス移動の際に、隣の席に座っていたスリランカ人女性は言っていた。 『多くの人が、外国で働くことを望むようになった。私も今の経理の仕事の資格を取ったら、他の国で働きたい』 スリランカも基本的に多くの人が英語を話せる。また、スリランカの大学を卒業すると、コモンウェルスの国にありがちだが、同時にイギリスの学位がもらえる。スキルが高ければ、抜け出せるチャンスは有る。英語が苦手で、かつ日本国内でしか通用しない資格しか持っていない日本人よりも、スリランカの人々は、外の世界に出る可能性は高いかもしれない。(国籍はおそらく若干不利だけども) 外国人旅行者からすると、スリランカ・ルピーの通貨の安さは魅力だ。世界的なインフレにより、現地商品の価格は上がっているが、安いルピーで換算すると、ずいぶん安く感じた。私は10日滞在したが、食費・ホテル・移動費を合計しても、あまり多くのお金を費やした記憶はない。 タイ・ベトナム・インドネシアなどの東南アジア諸国は物価が安いことで長年知られてきたが、それらの国よりも遥かにスリランカの商品は安く感じた。ホテルの価格も、東南アジア諸国よりも一段二段と安く感じた。 当然スリランカの人々もそのことを理解しているため、『外国人価格』を高めに設定する。これには、多くの外国人も不満を隠さない。 実際に、経済破綻をした国を訪問するのは初めてだった。 治安は?人々の生活は荒れていないだろうか? ガソリンなどは問題なく供給されており、移動に支障はないだろうか? 停電などは大丈夫だろうか? 様々なことを考えたが、スリランカ人の友人と話をしていて、今の時期なら大丈夫だという意見を聞いたため、スリランカを行きを決定した。実際に上記の問題は何一つ顕在化しなかった。普通と何も変わらない日常だった。その点では、私はラッキーだった。しかし、友人の話によると、今の時期は良いが、2023年3月から選挙が行われる可能性があるため、また不安定になる可能性がある……とも聞いた。確かに、選挙が起きることによって、何かが起きる可能性は、複数の人が示唆していましたね。もし3月以降に旅行を計画されている方がおられましたら、少し状況を見たほうが良いかもしれませんね。 今回の経済破産をした国の人々がどういう暮らしをしているのか?についての個人的見解は、 『表面上の人々の生活は、破産前と破産後もさほど変わらないが、実際の財布の中身はなくなってしまう』 という結論に到達したように見える。スリランカの人は海外旅行をしたことがない人も多いが、今では国内移動での旅行すらもお金の問題から難しくなったとも聞いた。 しかし、人の一生で何が最も大切なものなのかに関しては、スリランカの人々を笑顔を見ていると、金ではない別のものなのだということも分かった。 そして、私はなぜ破産をしてしまった国を訪問したかったのか? それは、近い将来の日本人の生活を早めに見ておきたかったからだと思う。スリランカとはずいぶん形は違うと予想するが、日本に住む日本人は、将来非常に厳しい経済的状況になるでしょう。見て見ないふりはできるが、避けることにはならない。それがゆっくり来るものなのか?急激に来るのか?それは分からないが。 多分その頃の日本も、今のスリランカと同じように、 『金が無い。金が無い』と発言する人は増え、海外での仕事を希望する人は増えると思いますが、表面的な社会そのものは特に変わらないことでしょう。 それが分かっただけでも、今回の旅の収穫だった。もちろん、素晴らしい仲間との出会い、美しい観光の体験もあったのだが。 しかし、スリランカの人々は、彼らのお金を盗んだ人間を許さなかった。デモを起こし、首謀者をシンガポールへ追い出した。そこは立派だと思う。 スリランカの人々は、とても心優しい方が多く、フレンドリーだ。場所によってはあまり治安が良くない場所もあるのだが、基本的に治安は良い。たとえ経済破綻をしていようとも、だ。Scammerも多いが、そんなにしつこくはない。そして仏教国のため、日本人とは宗教的な行動も比較的近い。 すぐに経済的に上向くことは難しいだろう。スリランカ全体としては、東南アジア諸国よりも10年、20年は遅れているように見える。経済の喉元も、すでに中国の支配下に落ちているようにも見え、独立国としての立場も危うく見える。インフレも前年度比50%と、驚くべき速さで急激に進んでいる。 引用:https://www.cbsl.gov.lk/en/measures-of-consumer-price-inflation それにともなって定期預金金利も30%に達している異常事態だ。 しかし、私は多くの素晴らしいスリランカの人々に出会ってきた。彼らの生活が向上することを祈っている。...

スマラン観光

ジャワ島中部の都市スマラン。170万人の人口を誇り、ジャカルタ・スラバヤ・バンドン・メダンと並んで、インドネシアの5大都市の一つ。日系企業も多く進出しており、在住者も多い。大都市なのだが、どこかのんびりしている。いくつか観光地はあるのだが、そこまで突出した観光地はないため、インドネシア人は立ち寄るが、外国人観光客はそこまで多くはない。日本との関係は深い。太平洋戦争が終結後、日本は降伏したが、いくつかの日本兵はスマランにとどまっていた。インドネシアが独立を宣言し、独立を認めないオランダと戦争状態に入る中、インドネシア人はオランダ軍と戦うための武器が必要だった。日本兵は武器を持っていたが、連合軍の指示により、武器をインドネシア人に渡してはならないという規則があった。そこで、武器が必要となったインドネシア人と、それを拒む日本兵は戦闘状態に陥り、両方に数多くの犠牲者がでた。インドネシア国内では5日間戦争という呼び名で知られている。スマラン市民でそのことを知らない人はいない。その際にブル刑務所というところに拘束されていた日本人が200名近くが殺害・行方不明になっている。現在はそのブル刑務所は、女子少年院として利用されている。 スマランの目抜き通り ローカルマーケット。朝から活気がある 夜も賑やか。若者軍団は地べたに座る     目次【本記事の内容】 1.スマラン基本情報  1-1.場所・地図  1-2.どんな街?概要 2.スマラン観光  2-1.Simpang Lima  2-2.Pantai Marina  2-3.Kota Lama  2-4.Lawang Sewu ラワン・セウ  2-5.Tugu Muda  2-6.Sam Poo Kong  2-7.Mall Paragon City Semarang  2-8.Masjid Agung Jawa Tengah (MAJT)  2-9.Ronggowarsito Museum  2-10.Kampung Batik Gedong Semarang  2-11.Kampung...

サマリンダ観光

サマリンダと聞いてすぐにピンとくる日本人はいないでしょう。東カリマンタン州の州都で、カリマンタン島・ボルネオ島で最大の都市です。地理的には、ボルネオ島はマレーシア側、カリマンタン島はインドネシア側を意味しますが、カリマンタン島の人も自分達はボルネオ島に住んでいると思っているので、どちらの名前を使っても大丈夫だと思われます。サマリンダは、人口が80万人で、マレーシアのサラワク州のクチンやサバ州のコタキナバルよりも大きな都市です。しかし、サマリンダには特に観光地もありません。また、大きなビジネス街も、大きなショッピングモールも何もありません。人口が多いですが、何もありません。街は茶色っぽく、どことなくほこりっぽい。人々は穏やかで、治安は悪くないのですが、ちょっと未開の地と言っても良いでしょう。きれいなショッピングモールもありません。(Big mallというショッピングモールはそこそこ現代っぽいモールにも見えますが、ちょっと郊外にある)今頃は、どこの街でも、若い人が始めたようなおしゃれなカフェがあります。しかしサマリンダには、そういったものはありません。市内を走るバスもありませんので、インフラも整っていません。市民の足は、個人が所有するバイクです。マハカム川という大きな川があり、その川沿いにある街のため、大雨が降るとよく洪水になります。近年新しくサマリンダ空港ができましたが、新しい割に大きくない。しかも空港の位置も、市内から30km以上もかかるため、距離も遠い。サマリンダを訪問するインドネシア人も、100km離れたバリクパパン空港に到着して、そのままバスでサマリンダに来るという人も多い。東カリマンタン州の州都でありながら、100km離れたバリクパパンのほうが遥かに将来性があり、すでに発展しています。当然、マレーシアのクチンやコタキナバルの方が、このサマリンダよりも遥かに発展しています。それでは見るものは何があるの?と聞かれると、マハカム川と人々の暮らしを見ること、あとは20kmくらい離れたところにあるTenggarongに立ち寄ることくらいでしょうか。     目次【本記事の内容】 1.サマリンダ基本情報  1-1.場所・地図  1-2.どんな街?概要 2.サマリンダ観光  2-1.Mahakam River マハカム川  2-2.Air Mancur – Patung Pesut  2-3.Samarinda Central Plaza  2-4.Taman Samarendah  2-5.Mahakam Lampion Garden  2-6.Islamic Center Mosque Samarinda  2-7.Tenggarong  2-8.街並み散策 3.サマリンダへの行き方・アクセス  3-1.サマリンダの空港・空港から市内まで行く方法  3-2.公共交通機関  3-3.ホテル・宿 4.まとめ       サマリンダ基本情報    ...

バリクパパン観光

カリマンタン島の港湾都市バリクパパンに4日間滞在してきました。正確には、広いカリマンタン島の東部の、東カリマンタン州になります。カリマンタン島と言うと、森だらけのイメージがありますが、ここバリクパパンは人口70万人の大都市であり、海に面した港町です。バリクパパンは、石油・天然ガスの供給基地でもあるため、インドネシアの国営石油企業プルタミナの一大拠点があり、またインドネシア軍の基地もあるため、首都ジャカルタからは遠く離れていますが、街も整然としており、経済も潤っているため、治安も安定しています。また、インドネシア政府は、近年首都移転を発表しましたが、その移転先であるヌサンタラはこのバリクパパンから、車で約100km離れた場所にあります。その場所はゼロポイントと呼ばれ、今では誰もが行くことができます。 しかし、実際に行っても今は石碑とサインボードくらいしか無いため、ローカルの人々も誰も行きません。しかし、このバリクパパンは、新しい首都ヌサンタラから最も近い街であり、ヌサンタラのための街や空港を建設する計画もないため、このバリクパパンが事実上、インドネシア新首都のお膝元になると思われます。現在は観光で有名な場所でもないため、世界中から人が集まることはありませんが、首都機能が実際にヌサンタラに移転されると、世界中から要人や政治家などが、このバリクパパンに滞在することが予想されます。それに伴って、バリクパパンの名前も広がり、観光客も増えるかもしれません。ビジネス面でも特に、韓国企業のヒュンダイとプルタミナが共同で大きな事業をしていることもあり、韓国人在住者が多いことでも有名。街なかには、韓国食材スーパーが多くあります。外国人観光客は多くはないが、石油企業プルタミナがあるため、シェルやシェブロンなどの欧米石油企業からのエキスパートが、技術支援などで滞在しているため、彼ら向けの優雅な家も海岸近くにいくつかあります。また、旧日本軍が統治していたこともあり、関連するいくつかの史跡もあります。きれいな街で海岸も多くあり、大きい洗練されたショッピングモールもあるため、個人的にはここに住んでも良いと思えるような場所でしたね。 バリクパパンの目抜き通り 朝も夕方も、安心な広い道路でジョギングする人は多い。 バリクパパンのシンボルは街中にモニュメントがあります。これは熊?マレー熊?でしょうか このマンホールはかわいいですね     目次【本記事の内容】 1.バリクパパン基本情報  1-1.場所・地図  1-2.どんな街?概要 2.バリクパパン観光  2-1.Pantai Kilang Mandiri  2-2.Kemala Beach  2-3.Tugu Australia  2-4.Merdeka Field  2-5.Pasar Klandasan  2-6.Monumen Makam Tentara Jepang 南方方面戦没者慰霊碑  2-7.Tugu Perdamaian Jepang 平和と友好の碑  2-8.Pasar Inpres Kebun Sayur  2-9.Bunker Jepang  2-10.Kampung Atas...

バタム島・ビンタン島観光

マレーシアやシンガポールに住んでいる人からすれば、おなじみの島ではないだろうか。バタム島。クアラルンプールからなら、スバン空港から飛んでいるマリンド・エアに乗れば一時間程度で着く。ジョホールバルからなら船で約2時間、シンガポールからなら船で約1時間だ。ハート型の形をしたバタム島とそのすぐ東側にはビンタン島がある。今回は両方の島に訪れてみた。ビンタン島は島の北部に高級リゾートホテルが乱立しているためリゾートのイメージがあるが、バタム島はそんなイメージはない。もしあなたがマレーシアやシンガポールに住んでいて、『ちょっと今週末はバタム島に行ってくるよ』とでも言おうものなら、あまり良くない目で見られるだろう。ジョホールバルでタクシーに乗ってフェリーターミナルに行く際に、ドライバーから『バタム島?あ、ダメダメ。嫁が許可を出さないよ』と言っていた。昔からこの島は売春島で有名である。シンガポール人が通貨の強さを背景に女性を買う場所である。陸地続きではないが、国境沿いの街というのは、両国の影響を強く受けるため、バランスに欠け、こういうことは往々にして起こりやすい。個人的には興味がない領域ではある。しかし、110万人が住む大都市のため、当然そういったものだけではない。EPSONの巨大工場もあるし、大きなショッピングモールもある。ゴルフ場もある。しかしイメージだけではなく、実際に中華系おじいさんと若いインドネシア人女性が歩いている姿はよく見た。市内中心部の繁華街の名前は、ナゴヤだ。日本統治時代の名残かと思ったが、ローカルに聞いても、誰も理由を知らないし、その名前の意味に興味すら持たない。また、バタム島は中華系のインドネシア人が多い場所でもある。インドネシアで中華系が多い都市は、ジャカルタ、スラバヤ、バタム島、メダンだ。大都市か、もしくはマレー半島周辺だ。インドネシア人は英語があまり得意ではないが、中華系は英語が話せる人が多い。中華系はインドネシア国内では、どうしても分断される傾向がある。昔からインドネシアの土地に住んでいる原住民と、そうでない中華系でだ。表立ってはいないが、中華系は中華系だけで固まる傾向はある。そのため、ある種の危機感があるため、子供の教育がしっかりしていると思われる。インドネシア中を回って今更思うことだが、バタム島はマレーシアとシンガポールに近いだけあって、バタム島の人々は地理にも明るい。他国で何が起こっているかのアンテナが高い。他のインドネシアの都市の人は、基本的にインドネシア国内のことしか知らない。バタム島の経済は、シンガポールに大きく依存している。シンガポールマネーが島の経済活性化には重要だ。それも仕方ないだろう。1時間船に乗れば、世界最先端の都市がある。シンガポールとバタム島では、インフラや文化に数十年の差があるように見える。おもしろいことに、バタム島のタクシードライバーは、シングリッシュを話す。シンガポールからの出張者も多い。遠く離れた首都ジャカルタよりも、裕福なシンガポールのほうが重要なのは言うまでもない。 ローカル感あふれる市場。   目次【本記事の内容】 1.バタム基本情報  1-1.場所・地図  1-2.どんな街?概要 2.バタム観光  2-1.Nagoya Foodcourt  2-2.NAGOYA HILL MALL  2-3.Grand Batam Mall  2-4.Welcome to Batam Monument  2-5.Mega Wisata Ocarina Batam  2-6.Museum Raja Ali Haji  2-7.A2 Food Court  2-8.Harbour Bay  2-9.ビンタン島 Tanjung Pinang 3.バタムへの行き方・アクセス  3-1.バタムの空港・空港から市内まで行く方法  3-2.公共交通機関  3-3.ホテル・宿 4.まとめ  ...

福島原発事故時に東京で勤務をしていたフランス人駐在員の葛藤を描く映画 Tokyo Shaking を見てきた

Mid ValleyのGSCで、非常に短い期間限定で興味深い映画をやっているのを見つけた。実際には、5日間くらいしか上映しておらず、1日に1度上映するのみ。KLでの上映が終われば、ペナンやジョホールでも少し上映されるようだ。興味深い内容だが、そんなにヒット映画でもないので、実際にこの映画を見る日本人はほぼいないだろう。日本人は当時のことを忘れることはないと思うが、フランス人がどのようにこういったテーマで映画を作るのかが気になったので見に行ってきた。フランス語で英語字幕だ。字幕はあまり好きではない。映像だけでは内容を追えない。字幕も見ないといけないので、集中しづらい。お客さんは5人程度だった。おそらくローカルだったと思われる。津波の映像が流れるので、見れない人もいるだろう。ちょっとツイッターに書くだけにするつもりだったが、文字数が多すぎになりそうなので、ひさびさのブログにしてみた(^o^) ポスターはこちら ■あらすじ 投資銀行クレディ・フランスのリスク担当として日本支社に駐在するフランス人アレクサンドラは、夫は香港で働き、自分と2人の子供は東京に住んでいる。高級なサービスアパートメントに住み、現地ローカル日本人よりも遥かに高い生活レベルを送っている。3月11日、信頼している部下に解雇通知をする辛い場面中に、大震災に遭遇する。何事もなかったと思ったのもつかの間、テレビで津波の映像が流れる。(これは、実際の津波の映像をそのまま使っている)とんでもないことが起こったが、子どもたちは無事に家に帰っており、安堵する。しかし、福島原発から放射能が漏れているとテレビの報道で知る。日本政府はアンダーコントロールされていると発表し、同じサービスアパートメントに住んでいる隣人(世界最大の原子力産業会社のアレヴァで働いている)のフランス人も、問題ないというため、アレクサンドラは安心する。しかし香港に住む夫からは、『とんでもないことが起きた。これはチェルノブイリだ。今すぐ香港に来い』とスカイプが届く。元々香港で友だちとパーティーに行く予定であった子どもたちも、早く香港に行きたいと言い出す。日本政府とアレヴァの技術者の言葉を信じたアレクサンドラは、心配する夫との間のすれ違いにより口論する。休みにも関わらず、フランス人同僚と震災の状況について打ち合わせをする。フランスの会社からは緊急帰国指示が出ていた。どうするのかと思案するアレクサンドラ。しかし、いくつかの同僚は、月曜日朝にはすでに飛行機で日本を脱出しており、最後まで残ると言っていたはずの上司も、こっそりパリに脱出していたことをアレクサンドラは後で知る。もはや業務どころではなくなっていき、次第に状況が悪化してくる。飛行機の予約はもう満席で取れず、空港もパニックだった。会社が手配するチャーター便があり、社員全員やその家族を国外に脱出をするというプランだったが、会社からは、フランス人だけしかそのチャーター便には乗れないと言われる。信頼している日本人部下たちも連れていきたいと願うアレクサンドラだが、日本人部下は東京に残ると言う。落ち着いていた外国人同僚達も、原発が爆発する映像を見て、避難を決意する。彼らがフランスに入国するビザを取るために、神楽坂のフランス大使館に行くが、大使館自体も緊急閉鎖しており、プランも進まない。アレクサンドラは取り乱してしまう。そんな中、隣人のアレヴァ社員も状況の悪さにイライラがつのるようになってくる。ついに原発4号機は爆発し、5時間以内に東京に放射能雲が来ることになった。アレヴァの社員は最後に『想定外だ。エアコンの電源を落とせ。窓の隙間をテープで塞げ。そして、僕の家族の世話をしてくれていたフィリピン人メイド達とともに京都へ行ってくれ』と言い残し、仙台に向かう。飛行機脱出を考え、会社へパスポートを取りに行くアレクサンドラ、しかしそこには……。 ■感想 細かなところが良くできている。実際に東日本大震災は金曜日に起こり、次の日は土日だった。映画でも震災の次の日は土日になっている。一方、1号機、3号機の爆発、そして天皇のビデオメッセージの時系列が若干違っていた気もする。映画内で使用されるテレビの映像は、全て実際に日本のテレビで当時放送されたものだ。昔の菅直人首相も登場する。アレヴァの社員が登場し、かつ彼の発言が主人公の判断に影響を与えている。アレヴァが登場してくるところに、日本人ではなく、フランス人が作った映画らしさを感じる。日本人が作る映画では、アレヴァのアの字も出てこないだろう。興味深い点として、フランス人が駐在として東京で働く場合はこんな感じになるのかというふうに感じた。高級なサービスアパートメント、隣人家族はほぼフランス人。普段のオフで関わるのは同じフランス人。オフィスでは基本フランス語。基本的にはパリ本社の意向ですべて決まる。現地日本人採用者は、明らかに一段階下の労働者側に見える。映画内には、日本への配慮もある。武士道を重んじている日本人達のように、日本人を尊敬するような部分もある。なお、原発事故に関しては、放射能雲は結局東京には来ずに、海側に消えていったことでみんな助かったということになっている。冒頭、巨大地震に襲われる描写があるが、これを見ると、外国人は日本に住みたくないと思うのではないかと思う。投資をする側からしても、未知のリスクは負えないと考えそうだ。この映画は、東日本大震災の被害や日本人の状況にはあまり触れられていない。あくまで、フランス人駐在員が震災発生以降の1週間程度どのように葛藤し、本社の意向と現地社員の間で折り合いをつけていくかに焦点が置かれており、日本人目線の映画にはなっていない。そのため、映画を見ていても、日本人としてはどこか遠くの話を見ているような気にもなる。 2022年6月現在、コロナウィルスが終焉を迎えつつあるようにみえるが、日本では、極端な円安問題・ヘッジファンドによる日本国債売り戦争が始まり、進むも引くも地獄という状況だ。地震は誰にもどうすることはできないが、経済問題や原発問題は明らかな政策失敗であり人災である。明らかに数字として貿易赤字が膨らんでいるのにもかかわらず、根拠もなく『円安は日本経済にプラスである!』と高らかに謳う国会議員を見ていると、『原発のコストは安い』と何の根拠もなく、大きな声を出していれば嘘でも本当になるというあのときと同じである。東日本大震災から10年、個人的には、資産も全て国外に移してあり、時間も金も困っていない。あの時よりも少し成長した。日本がどうなろうと、すでに逃げ切ってはいるが、故郷の動向を確認程度はする。とはいえ、特に期待はしていない。この先の日本がどうなるかは、少し考えれば誰でもわかりますからねぇ。。。。(゚A゚;)ゴクリ...

KL Car-Free Morningに参加しよう!

KL Car-Free Morningという名前を聞いたことはありますでしょうか?コロナ前からも開催されていたかどうかは不明ですが、Kuala Lumpur中心にある、Kuala Lumpur City Hall周辺からスタートし、KLCCで折り返して戻ってくる、全長約7kmの道を、2時間程度車が入れないようにして、歩行者・ジョギング・自転車などが自由に楽しむものであり、毎週日曜日の朝7時~9時まで行われています。 特徴を並べると、 参加は無料(事前にWebサイトから登録が必要なだけ) 道路が広く、一部凹凸のある路面もあるが、全体を通じて比較的滑らかな路面 いつもみんなが見ている都会の中心を走ることができる 折り返しの全長が7kmなので、目標が立てやすい。15kmを目指すなら2周、20kmを超えたいなら3周すれば良い(たまにKLCCに行くまでのルートが閉鎖されていることもあります) 多くの参加者がいるため、企業の協賛も多く、スタート地点やKLCC周辺では、無料のスポーツドリンクやパン・サンドウィッチなどが配られていることも多い。KLCC周辺は、多くの参加者が一時休憩して楽しく団らんをしている(現在はラマダン中のため、参加者は少ない) 歩行者とジョギングでの参加が一番多い。その後は、自転車、ローラーブレード、スケボー、電動スクーター、車いす、一輪車など多種多様。自転車も、多くの参加者が個人の自転車を持ち込んでいる。競技用ロードレーサーやおしゃれな自転車など様々 現地でマウンテンバイクやママチャリなどの自転車を借りることもできる(レンタル期間は、その日の9:30まで。一台20RM。事前予約などは必要ないが、貸出が完了すると借りれなくなるので、早めに来ないと在庫がなくなる可能性があるかも) 自転車をするならば、基本的にヘルメット程度は持ち込んだほうが良い。小さな自転車でもヘルメットをしている人は多い。上手下手ではなく、上手な人でも路面の段差に引っかかったり、濡れた路面で突然スリップすることはある。参加者に聞いたところでは、『腕や足の骨折などはまぁどうでも良いが、頭だと一生を棒に振る可能性がある』とのこと 7時~9時だが、実際は7時ちょうどに開始されることはない。だいたい7時5分くらいにスタートする。そして、8時過ぎくらいになると、警官によって少しずつ移動範囲が狭められますので、9時までまるまるコース全域が使用できるわけではない。実際に8時30分を過ぎると、参加者の数も次第に減ってきます さて、参加までの一連の流れを記載しましょう KL Car-Free MorningのWebサイトにアクセスします HOME ページを下に降りて、登録します 登録作業は、3分くらいで可能です。登録したからといっても、何も登録した証拠は残りません。Emailが届くわけでもないです。なので、登録完了した際には、画面上に、『登録完了しました』などの小さなウィンドウがでてくるので、それを写真にでも撮っておきましょう。 では実際に現地参加の流れを見てみましょう 現地周辺にはいくつか駐車場があります。スタート地点から遠い駐車場もあることと、警察による交通整理が始まりますので、電車で行くのが一番良いかと。Masjid Jamek駅からKuala Lumpur City Hallのスタート地点までは、歩いて3分程度ですので、ここに朝早く来るようにすればよいでしょう。 日曜日の朝早い時間は、電車にあまり人は乗っていません。逆に、明らかにランニングの服装をしている人もいますので、彼らはおそらく参加目的でしょう。 朝早いですが、駅内ではコンビニエンスストアが開いています。コース中にもコンビニエンスストアはいくつかありますが、ここで買っておくのも良いでしょう。 Masjid Jamek駅をでて、OCBC銀行側に向かいます。 すでに交通整理は始まっています。この辺まで来ると、マイクで盛り上げようとしている人の声が聴こえてくるはず。 いつものように、MySejahteraをスキャン 事前に登録したことを告げると、手首に参加者であることが分かる紙テープを巻いてくれます。この紙テープの番号は、後で何か当選することもあるようです。また、参加中にテープの有無を聞かれたことはありません。多分、登録せずに参加しても何か言われることはありませんが、時間がかかるものでもないので、登録はしておいたほうが良いでしょう。 多数の参加者が準備をしています。 ここのベンチなどで、座りながら準備をするのも良いでしょう。 トイレは、Kuala Lumpur...