Month: July 2019
パダンは西スマトラ州の州都。約100万人が住んでいる。人口の多いインドネシアでも、10番目に人口の多いエリア。この地域は、オランダの植民地になるまで金や黒コショウの貿易の中心でもあった。 オランダ東インド会社、英国に繰り返し植民地にされ、1942年には大日本帝国に3年間支配されてきたという歴史がある。 インド洋プレートがあるため、日本と同じくらいに非常に地震が多い地域。過去に何度もM9近い地震を起こしている。海底地震が多いため、津波の被害も多い。 家の形や食事などの文化は、ミナンカバウ文化に属する。基本的には辛めの料理が多い。パダンフードの特徴は、料理は一日に一度だけ行う。様々な料理を一度に作っておいて並べておく。好きなものを手に取って食べる形になる。そのため、一つ一つの料理の量は多くなく、さまざまな種類のものを少しずつ食べるのが特徴になる。レストランでは、好きなものを、手に取った量だけお金を払う形になるので分かりやすい。世界で最も知られているパダン料理は、ルンダンである。正直、人生に一度は食べたほうがいい料理だと感じる。 観光としては、パダン市内よりも離島が人気のようだ。ビッグウェーブで透明な海のため世界中のサーファーが訪れる地域でもある。 目次【本記事の内容】 1.パダン基本情報 1-1.どこにあるの?場所・地図 1-2.どんな街?概要 2.パダンの観光について 2-1.お勧めスポット 2-1-1.Mesjid Raya Sumatera Barat 西スマトラ州立モスク 2-1-2.Padang Beach パダンビーチ 2-1-3.Monumen Merpati Perdamaian 2-1-4.Pantai Air Manis 2-1-5.Monumen Korban Gempa 30 Sep 地震慰霊碑 2-1-6.Adityawarman Museum アディティヤワルマン州立博物館 2-1-7.Imam Bonjol...
海抜930mの涼しい気候。西スマトラ州の3番目の都市。第二次世界大戦後、オランダが再度インドネシアを占領しようとした際に、インドネシア政府の臨時首都がおかれた場所。時計台などが有名で、西スマトラ州の代表的観光地。インドネシアの英雄モハマッド・ハッタが生まれた場所でもある。 比較的狭い範囲に興味深い観光地が固まっています。 西スマトラ州の州都パダンからバスで2時間程度。田舎なので夜になるとレストランもすぐに閉まります。最低一泊は滞在することをお勧めします。 運が良ければ、世界最大の花ラフレシアを見ることもできます。 目次【本記事の内容】 1.ブキティンギ基本情報 1-1.どこにあるの?場所・地図 1-2.どんな街?概要 2.ブキティンギの観光について 2-1.お勧めスポット 2-1-1.Bung Hatta Birthplace Museum モハマッド・ハッタ生家 2-1-2.Jam Gadang Bukittinggi 時計台 2-1-3.Lobang Jepang 旧日本軍トンネル 2-1-4.Panorama Park (Ngarai Sianok) ガライ・シアノッ渓谷 2-1-5.Fort de Cock デ・コック砦 2-1-6.Rafflesia ラフレシア (Batang Palupuh) 3.ブキティンギへの行き方・アクセス 3-1.公共交通機関 3-2.ホテル・宿...
================================================================== バトパハの街には、まず密林から放たれたこころの明るさがあった。井桁にぬけた街すじの、袋小路も由緒もないこの新開の街は、赤甍と、漆喰の軒廊(カキ・ルマ)のある家々でつゞいている。森や海からの風は、自由自在にこの街を吹きぬけてゆき、ひりつく緑や、粗暴な精力が街をとりかこんで、うち負かされることなく森々と繁っている。 =========================================マレー蘭印紀行(金子光晴)== まるで、[ 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。 ]という川端康成の雪国を思い起こさせるような一文。 もっとも、このような100年前の時代とは違う。金子光晴の時代のように、船でムアルからバトゥ・パハに行くことはまずない。街も大きくなっている。密林などはない。現代ではみんなバトゥ・パハにはバスで移動する。 バスが通る道は、すでにきれいな道路が敷かれており、住居が立ち並んでいる。ココナッツの木、たまにパームオイルの木が立っている。なぜ農園でもないところにパームオイルの木があるのか不思議な気分にはなる。パームオイルはもともとマレーシアにはない木である。アフリカ原産だったはず。住民や誰かがオイルを利用するためにパームオイルの木を植えたのだろうか。 そんなことを考えながら、バスは、バトゥ・パハ市内にたどり着く。 バトゥ・パハは62%が中華系、マレー系が36%と中華系がマジョリティを占めている。バトゥ・パハという名前は、『岩を彫る』という意味がある。1500年代に、シャム人(タイ人)がバトゥ・パハに侵略してきた際に、マラッカ軍を打ちのめしますが、そのシャム人が、水を得るために海岸沿いの村で岩を削っていたという逸話がある。 現在はバトゥ・パハの街は30万人を超える人口があり、多国籍企業の製造業などが盛ん。富士通、ミツミや、今は台湾企業のシャープの工場などがある。また、ゴム・パームオイル農園なども同じように重要な産業になっている。 しかし、バトゥ・パハ。正直、誰がこんなところに観光で来るんだよ、という感じの街ではある。 クアラルンプールのTBS長距離バスステーションより3時間30分かけてやってきた。 可もなく不可もなくといった感じの椅子。 バスターミナルには朝に着いた。バスに揺られたが、気持ちの良い朝だった。 バスターミナルには人が溢れる。行先は、ほとんどクアラルンプール往復かジョホールバル往復に限られている。 バスターミナルの場所はこちら。 約100年前に、日本人のビジネスマンが50人程度住んでいたのがこのバトゥ・パハ。 戦前ですが、当時この街はゴム園などで栄えていたようで、日本人がゴム園を経営して、ローカル華人やマレーシア人を雇っていたようです。当時からシンガポールなどでは、華人による反日運動はあったようですが、バトゥ・パハにおいては、日本人がビジネスとして金を持ってきているので、大事な金主として、反日運動などは抑えられてたようです。 ================================================================== カユ・アピアピは、馬来語で、カユは木、アピは火、炎の木という意。水にちかく枝を張るこの木をこのんで、夜になると蛍が集まる。蛍火の明滅で、枝なりに梢が燃えているようにみえるので、その名があるのだという。 =========================================マレー蘭印紀行(金子光晴)== この燃える木というのは蛍のことだが、夜は滞在していなかったのでさすがに見ることはできなかった。最も100年前とは違い、現在では既に市街地なので夜になっても蛍がいるかどうかは分からないが・・・。 大きなストリートアート。ジョホール州の旗が描かれている。 市場。朝は活気があります。 街並みも意外とビルがたくさんありますね。 目次【本記事の内容】 1.バトゥ・パハ観光...
クルアン。ジョホール州の内陸部にある街です。州のなかでも内陸に位置しているため、海に面してはいない珍しい街です。特筆すべき事は、特にありませんが、比較的規模が大きい街です。 観光で行こうと思っている方へ、ちょっとした旅行記を残しておきましょう。 目次【本記事の内容】 1.クルアン観光 1-1.Kluang Rail Coffee 1-2.Kluang Mall 1-3.Geraja St Louis 1-4.Kluang Street Art 1-5.Kluang Coffee Powder Factory 1-6.Hailam Toast 2.まとめ クルアン観光 クアラルンプールからバスで行きました。混んでいなければ、3時間くらいで、クアラルンプールのTBSバスステーションから、クルアンのバスステーションまで着きます。 高級バスではないのですが、驚くほどシートが倒せました。ほぼフラットと言っても良いレベル。個体差もありそうな気もしますが、KKKLというバス会社はなかなかお勧めかも。 ちょっと街歩きをします。規模の大きい有名な街というわけではありませんが、結構商店は多いですね。食べ歩きもできる感じです。 街はこんな感じ。 さて、最初の観光地の、Kluang Rail Coffee に行きます。この街一番の観光地のコーヒー屋はKTMクルアン駅の中にあります。 Kluang...
この記事では、海外でATMを使用した際にお金が出てこないなどのトラブルにあってしまった場合の対処法などについて記載しています。 あなたは海外旅行中にどのようにして現地のお金を手にしますか? 僕は基本的には、住んでいるマレーシア国内で、その現地のお金に換金していました。(なぜなら、非常に手数料が安く、ローカルに大人気な両替エリアがあるからです。) この方法は、事前に両替をしないといけないという手間はありますが、旅行中が楽です。 また、『現地のATMでお金をおろす』という方法もあります。これは手数料次第なのですが、現地のプランに合わせて事前に使用額を換金していなくてもいいので、柔軟に行動ができます。 さて、僕は最近、後者の『現地のATMでお金をおろす』という方法をとっていたのですが、大きなトラブルに見舞われました。 現地のATMでお金をおろそうとしましたが、なぜかお金が出てきませんでした。一日の利用限度額などがあるので、そういうことは、よくある話だと思われます。しかし、あとで自分の銀行の明細を確認したところ、出てきていないはずのお金が明細上では引かれていました。 とんでもないことが起きてしまいましたな。 さて、これは基本的には避けて通れない場合もあると思います。はっきり言って運ですね。僕も今まで数十回と使ってきましたが、初めての経験でした。 しかも、はっきり言って、対抗する手段が乏しい。 非常に厳しい状況でした。 結果的には、お金は戻ってきましたが……。 日本に住んでいて日本の銀行カードを使って海外旅行をする人ではなく、僕はマレーシアに住んでいてマレーシアの銀行のカードで海外旅行をしていました。 珍しい状況だったと思いますが、日本に住居やベースがある人と比べると相当厳しい状況だったと思います。 なので、このようなことを少しでも防ぐために、対抗策を記載しておこうと思います。 目次【本記事の内容】 1.ATM出金トラブルを防ぐ方法 1-1.銀行支店内のATMのみを利用する 1-2.動画に残す 1-3.行員さんにATM操作をお願いする 2.私のATMトラブル(体験談) 2-1.ATM出金されなかったのに、ネットで明細を確認したら同額が引き落とされていた 2-1-1.カシコン銀行に行った結果 2-2.ATMにカードが飲み込まれた 2-2-1.TMB銀行に電話した結果 3.私のとったトラブルへの対応 3-1.マレーシアのMaybankサービスセンターに電話をし、紛失したカードを止めてもらう 3-2.Word文書でレポート作成 3-3.支店に行く 4.結果 5.まとめ ...
シブはサラワク州の中心部にある川沿いの街、ラジャン川とイガン川の交わる場所にある。サラワク州の州都のクチンへはバスで8時間程度。直線距離では短いのだが、ぐるりと迂回するため時間がかかる。飛行機なら1時間で行ける。16万人が住むが、主な人種は60%以上が中華系。特に福州系が多い。そして30%が昔からこの地に住んでいた先住民族系。なので、ずいぶん他の都市とは違う人種構成なのが分かる。他は、もう少しマレー系が多い。 シブは、サラワクが英国領になったときに、英国人総督が先住民族の攻撃を防ぐために砦を作ったことが始まり。その後、中国の福州市から仕事を求めて華人が流入。1942年に日本軍がサラワクを統治した際には、『志布州』という名前に変更させられた。大日本帝国軍がサラワクのミリに攻め入った後、9機の日本軍戦闘機がシブを爆撃した。 シブはラジャン川上流につながる玄関口である。 白鳥が町のシンボル。 経済としては当初、移住してきた福州人が米作を中心にする予定だったが、土が米作には適さなかった。その後、英国人総督がゴムなどのプランテーション農園を中心にするように決めた。朝鮮戦争時にはゴムの値段が上がり、シブの産業に大きく寄与した。現在では木材加工と輸出、パームオイルがシブの主要な経済的原動力となる 細かく観光地があるが、シブは何といっても食べ物がお勧めであった。サラワク州でもこのシブでしか食べることができない食べ物も多く、ボルネオ島のローカルも、コロミーとサラワクラクサはシブが一番といっているのを聞いたことがある 目次【本記事の内容】 1.シブ基本情報 1-1.どこにあるの?場所・地図 1-2.どんな街?概要 2.シブの観光について 2-1.お勧めスポット 2-1-1.三洋 大厦 Wisma Sanyan 2-1-2.シブ海浜公園 Sibu Esplanade 2-1-3.シブ中央市場 Pasar Sentral Sibu 2-1-4.シブナイトマーケット Tapak Pasar Malam Sibu 2-1-5.シブ遺産センター Sibu Heritage Centre 2-1-6.七層観音塔 Tua Pek Kong Temple...
カピット。こういう名前を聞いたことがある人は多分いないかな。マレーシアのサラワク州の……いやボルネオ島のほとんど真ん中にある秘境です。山奥過ぎて、道路が開通していないため、車ではこのカピットという町に行くことはできません。マレーシア最大の川、ラジャン川をフェリーで移動するしかありません。近郊の町シブからフェリーで3時間です。 ここはこのボルネオ島に昔から住んでいる先住民族のイバン族の子孫が住んでいる町であり、マレーシアのマジョリティのマレー系の人々は少ないです。宗教はキリスト教が主です。少しはムスリムもいるようですが……。 道路が開通していないのですが、なぜか車が多いです。これは、このカピットという町は陸の孤島なのですが、 市場と家の往復用 隣町のSongとの移動用 のために、みなさん車を所有されています。 ってかどうやって車を買ったんだろう?どうやって車をこの陸の孤島まで持ってきたのだろう?船かな?などと不思議に思うレベルですが・・・・ 目次【本記事の内容】 1.カピット基本情報 1-1.どこにあるの?場所・地図 1-2.どんな街?概要 2.カピットの観光について 2-1.ラジャン川 Rajang River 2-2.Fort Sylvia 2-3.Kapit Museum 2-4.中華寺 Kapit Hock Leong Tieng Tua Pek Kong Temple 2-5.Market Teresang 2-6.食文化 3.まとめ カピット基本情報 ...
サリケイはシブの近くの小さな町。町の名物は、川沿いに立つパイナップルのモニュメント。 特徴はほとんどない。そのパイナップル以外には……。いわゆる田舎町。 56000人の人口で、中華系が2万人以上を占める。次にイバン族。マレー系は少ない。戦前からゴムと黒コショウが主な産業。帰りの飛行機のこともあったため、2時間しか滞在しなかった。中心部には人が多く、ストリートアートやフードコートが広がる。だが、中心部から少し離れると、人はまばらになる。ちょっとした息抜きで行くのがよいだろうか。 シブからバスで1時間30分で行ける。公共の乗り合いバスで行く。 バス乗り場は、フェリー乗り場の真向かいのこの場所。片道13RM(約350円)。 『婆羅洲』と書いて、ボルネオと読むとは思わなかった。 なかなか、時代を感じる時刻表示ですな。 のんびりとしたバス停。 以下は市内循環のバス。これも時代を感じますな。だいたい日野のバスが多い。 シブからは、下記の都市間高速バスでも行けるが、町同士が近すぎるために、高速バスの本数が少ない。全くない日は、シブ→サリケイ行きのバスが1日に1本という場合もある。 そのため、フェリー乗り場向かいの、公共の乗り合いバスで行くほうが1時間に1本くらいなので便利だろう。 サリケイの街の雰囲気。ここは中心部のため、混雑しています。 公園で皆さん座っていますね。 目次【本記事の内容】 1.サリケイ基本情報 1-1.どこにあるの?場所・地図 2.サリケイの観光について 2-1.パイナップル The Pineapple Statue 2-2.ストリートアート Street Art 2-3.Doremon Supermarket 3.まとめ サリケイ基本情報 どこにあるの?場所・地図...