高原の町 バギオ観光
バギオは高原にある街なので、山の上に家が広がっています。
上の写真のような光景も、なかなか見ることがない景色ですね。高原にあるので、朝や夜は気温が低く、過ごしやすいです。
また、マニラやダバオと比較して、個人的な体感としては治安がすごくいいと感じました。観光する上で注意深くなるのは当たり前ですが、夜歩いていても危険性をあまり感じない。
聞いたところによると、バギオはマニラでの成功者が別荘として住む人も多く、お金持ちの人が多いらしいですね。まあバギオ出身の人もお金を持っているかどうかは別の話ですが。
しかし本当に治安に関しては安心して過ごせた穏やかな街だった、バギオ。
現在では、韓国人・日本人・ベトナム人・ロシア人などの英語留学者も非常に多いですね。
特に韓国人の英語勉強熱には驚かされました。
やはり今勢いのある国は違うなと。
そんなバギオの観光情報です。
目次【本記事の内容】
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- 1.バギオ基本情報
- 1-1.どこにあるの?場所・地図
- 1-2.どんな街?概要
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- 2.バギオの観光について
- 2-1.お勧めスポット
- 2-1-1.Harrison Road ナイトマーケット
- 2-1-2.Baguio Cathedral
- 2-1-3.Session Road
- 2-1-4.Mines View Park(マインズ・ビュー・パーク)
- 2-1-5.The Mansion
- 2-1-6.BenCab Museum
- 2-1-7.Baguio City Museum
- 2-1-8.Corlors of Stobosa
- 2-1-9.Burnham Park
- 2-1-10.フィリピン・バギオ戦没者慰霊碑(Filipino-Japanese Friendship Memorial Shrine)
- 2-1-11.Café by the ruins
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- 3.バギオへの行き方・アクセス
- 3-1.公共交通機関
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- 4.モデルコース
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- 5.まとめ
バギオ基本情報
どこにあるの?場所・地図
ルソン島北部。フィリピンの首都マニラからは、バスで5時間程度である。
どんな街?概要
ルソン島北部の高原リゾート都市。コルディエーラ山脈地帯に位置し、ベンゲット州になる。海抜1470mのため、夏の首都として知られ、蘭の花の栽培が有名。人口は35万人。大半がカトリック教徒。古くからイバロス族やイゴロト族などの先住民族が住んでいた。バギオでは、公用語のタガログ語以外に、イバロイ語やイロカノ語などが使用される。この地に古くから住んでいた人たちは、この街をコケのある街、現地語で Bag-iw と呼んでいた。その後スペインの統治が1846年から始まる。スペイン語でスペルを、Baguio と変更した事で、バギオと呼ばれる事になった。
スペイン・アメリカ戦争後、フィリピンはアメリカのものになった。アメリカ統治時代にバギオはサマーキャピタルに選定された。空気も良く、気温もよいので、毎年の6月から8月の3ヶ月間はバギオで執務を行うようになった。それが、マンションの始まりである。アメリカは、現地フィリピン人・日本人・中国人の労働者を積極的に雇った。道路の整備等のためである。建築家のボーナムは、ダバオをモダンな都市にするために都市計画を行った。ボーナム公園の始まりである。
1941年、第二次世界大戦が始まる前に、大日本帝国軍がバギオ市内の米軍キャンプを爆撃した。大日本帝国軍がフィリピンを統治するのに伴って、バギオのキャンプは大日本帝国軍が1944年まで利用した。アメリカの反撃が始まると、居住していた日本人にも退却命令が出された。日本の降伏に伴って、米軍キャンプにて山下将軍とともに降伏式典が行われた。
戦後は観光業と製造業が栄える。近年では、英語留学先として人気。特に韓国人留学生が多い。一つの英語学校に数百人の韓国人留学生が留学していることも多く、近隣には韓国料理屋や韓国食材店が連ねる。
バギオの観光について
お勧めスポット
Harrison Road ナイトマーケット
毎日夜9時から24時頃まで開催されているナイトマーケット。だいたいナイトマーケットは夕方18時くらいには開催されそうなものですが、ずいぶんと遅い時間から始まるのね。道路を封鎖して行われるからかもしれません。
バギオ自体がそこまで大きな町ではないので、ナイトマーケットも大規模ではないです。ナイトマーケットはだいたいガヤガヤしていてうるさい印象ですが、このナイトマーケットは静かで平和な感じを受けました。
夜9時開催は遅いですが、ジープニーもずっと走っているので、帰りのことは心配せずに楽しめると思います。
フィリピン名物の卵を孵化させた後に、トリの肉や血ごと食べるバロットも売っていますね
なんか下記の写真を見る限りだと、すごく小さなナイトマーケットのように見えますが、下記の写真の10倍くらいの規模はありますので、十分に楽しめます。。。
Baguio Cathedral
バギオの観光地として知られるローマンカトリックの教会。大日本帝国軍統治時代には、日本軍が連合軍のじゅうたん爆撃から逃れるための緊急退却センターとして利用された。
1907年にベルギーの神父によって設立。
Session Road
バギオの繁華街でありバギオのビジネスエリア。朝から夜までずっと人が多い。というか、バギオもそんなに遊ぶ場所は無いのだと思われる。
バギオで人が集まるのは、
- Session Road
- Burnham Park
- SM City Baguio
の3つだけだと思われる。
Mines View Park(マインズ・ビュー・パーク)
ローカル観光客に大人気。バギオの北側の山の景色が楽しめる。見える景色は山だけだが、その歴史としては、昔に金鉱やスズが取れた場所でもある。ちょっとした園芸コーナーや、伝統的衣服を着て写真を撮るようなサービスもある。
バギオ中心地からジープニー(Mines View Park)行きに乗れば、乗り換えの必要もなしに8か9ペソで格安で移動できるので簡単。
ローカル観光客には大変人気の場所だが、外国人観光客からするとそこまで良いかなとは単純に思ってしまうかも。
The Mansion
フィリピンの大統領が夏の間だけこちらで執務を行う場所。スペイン統治時代のデザイン。第二次世界大戦で建物に大きな崩壊があったが、1947年には再建された。メインの入り口は鉄で作られている。数多くの入り口のうちの一つは、ロンドンのバッキンガム宮殿のレプリカである・・と噂がたったことがあったようだが、これは嘘だったようだ。
ちなみに、中の宮殿よりも、このメインゲートの方が写真としては人気のスポットらしい。
BenCab Museum
ベンカブはフィリピンを代表する画家。フィリピン大学を卒業し、ロンドンで修行を積んだ。一度フィリピンに戻るも、フェルナンド・マルコスの独裁政治に反対し、再度ロンドンへ戻った。バギオ市に生活の場を落ち着き、数名のアーティストともに活動。この4階建ての博物館はその名残り。
Baguio City Museum
この博物館は石で作られ、ピラミッド型の屋根は木を利用している。入り口に見える大きな二つのコンクリートポールは伝統的なイフガオ族の家を表している。博物館は1975年に建てられた。1990年にバギオを襲った巨大な地震のため一時崩壊されたが、現在では再建されている。
展示内容は、バギオ周辺に住む6つの民族の家や文化の紹介と、バギオ市内の歴史。日本の戦争の歴史もあります。
山下将軍。このYamashitaと言う名前は、フィリピンの至る所で聞きます。この人がフィリピンのどこかに旧日本軍の財宝を埋めたという、山下財宝の噂が今でも残っているからです。
大日本帝国のフィリピン占領 : 1941年12月7日に日本軍の真珠湾攻撃が始まったときに、多くの市民は戦争が始まったことを認識した。翌日の12月8日、18機の飛行機がバギオ上空をV字に飛行していたとき、人々はその飛行機はアメリカが日本を攻撃するものだと思っていた。が、それらの飛行機は72個の250kgの爆弾をアメリカ軍キャンプに落とした。12月27日、フィリピンとアメリカの国旗は降ろされ、大日本帝国の旗が揚げられた。その日の朝、日本軍兵士がバギオに入ってきた。40ヶ月の支配の始まりだった
Corlors of Stobosa
地域のアート集団が地元の公的機関からの依頼でデザインした観光スポット。150から200の家を、4タイプのデザインを組み合わせて塗ったもの。主にはひまわりをイメージされている。520人の地域からのボランティアがトレーニングを受けて、2800ガロンもの塗料を利用して作成された。
バギオはアートの町でもあるのだろう。美術的なものに造詣の深い人が好んで住む傾向がある様子。
このカラフルな場所は、バギオ市内から少し郊外にでるが、La Trinidad行きのジープニーに乗れば簡単にたどり着ける。このカラフルな家が近づいたら、ジープニーを叩いて降りるだけだ。
そんなに塗られている範囲は大きくはない。中に入って少し散策しても、観光所要時間は20分もあれば充分だろう。ローカルの人もちょこちょこジープニーを降りて観光しているが、ちょっと写真を撮って観光はすぐに終了している。
この手のカラフルな建物は、過去に何度か見たことがある。インドネシアのマランもそうだが、日光が強いのでどうしても色あせてくるのが難点。ペイント企業の超高性能な日光に強く鮮やかな発色が長く続くような特殊な塗料を使えば、もっと目を引く観光地になるだろう。だが、住民にとっては、あまりにも強い塗料は健康面でも良くないかもしれない。
マランのカラフルタウンの方が規模は大きかったが、こちらも悪くはない
Burnham Park
アメリカ人の建築家のボーナムが設計した公園。バギオ市環境局が管理をしている。バギオ市内の真ん中にあり、ゆっくりするのにもっとも良い場所。大きな池もある。たいして何かがあるわけでもないが、この公園こそがバギオのランドマークと言っても過言ではない。
フィリピン・バギオ戦没者慰霊碑(Filipino-Japanese Friendship Memorial Shrine)
日本のフィリピン戦没者慰霊碑保存協会とバギオ市のライオンズクラブが1973年に建てたもの。非常に綺麗にメンテナンスされている。第二次世界大戦中に亡くなった日本人とフィリピン人への慰霊を込めたもの。
なお、この慰霊碑の向かいに公園があり、そこにも日本の慰霊碑がある。しかしそこはメンテナンスもされておらず、落書きがされており、地元のちょっとした悪ガキさん?たちの遊び場になっている。僕が行ったときにはダンスを練習している集団の子供たちがいました。
Café by the ruins
おしゃれな人気のカフェなのだが、第二次世界大戦中に日本軍と米軍が戦った後の銃痕が壁に残っている。なお、食べ物もおいしいし、センスも良いので普通にカフェとしてもおすすめ。ボーナムパークの近くにあります。
バギオへの行き方・アクセス
バギオに空港はあるようですが、整備中とかで現在では使われていない様子。なのでバス以外には無いでしょう。で、日本人にとっては、マニラとの行き来以外もほとんど無いのではと思います。北部のビガンやコルディエーラの棚田などの観光で延ばす利用はあるでしょうが、僕はマニラとの行き来以外は利用していないのでここでは記載しません。
フィリピン人ローカルも、日本人旅行者も、バスに関してはJoyBus一択でいいのかなと思います。バスも快適です。グレードによって大きく価格が変わるわけでもないと思いますので、一番高いクラスで移動するのが楽です。
注意すべき点は、
- バス内はエアコンが聞きまくりで極寒
- ローカルにも人気があるので、チケットは2日前には買っておいたほうが良い。前日は売り切れの可能性も高い
だと思います
Joy Busの場所は下記になります。まあ高速バスが止まる場所がこの辺りしかないと思います。そして、そのエリアの中にJoy Busの事務所があります。Joy Busのバスの発着地は事務所の前になります。
公共交通機関
市内全域に、バスやジープニーが張り巡らされています。下記がジープニーが集まる場所なので、行きたい場所があればここで聞いてみるのが良いでしょう。この周辺の歩いていける範囲にも、いくつかバスやジープニーのステーションがあります。バギオは治安は良いと思うので、聞けば気軽に教えてくれると思います。ジープニーなら、一回8か9ペソの固定料金だったと思います。
モデルコース
ボーナムパーク周辺の観光地は歩いて回れるが、
- Mines View Park(マインズ・ビュー・パーク)
- The Mansion
- BenCab Museum
- Corlors of Stobosa
はちょっと遠いから歩いては無理ですね。タクシーかジープニーを利用すれば簡単にいけます。
まとめ
以上、バギオの観光地を並べて見ました。
個人的な印象に残った観光地もいろいろ記載しましたが、
- Harrison Road ナイトマーケット
- Session Road
- Mines View Park(マインズ・ビュー・パーク)
- The Mansion
が、ローカルや外国人の行く主な観光地だと思います。
ですが、実はバギオには伝説のタトゥー彫師の女性がいるとのことで、欧米外国人からするとその人にタトゥーを入れてもらうためにバギオに来る人もいるようです。
おそらく下記のことだと思います。
RECEIVING A TRIBAL TATTOO FROM WHANG OD
僕はタトゥーには興味が無いので分かりませんが。。。。
ではでは。マニラやセブだけではなく、例え英語留学じゃなくても、バギオは観光としてもお勧めですよ。