山田長政の終焉の地 ナコンシータマラート

タイ南部のナコンシータマラートという場所に寄ってみました。小さな町ですが、日本にも縁のある場所のようです。タイ南部で最も重要な仏塔があります。仏陀の歯の遺物が含まれているとのこと。また、国立博物館もあり、そこは昔に東南アジア全域を支配していたスリウィジャヤ王国の際の遺跡展示があるということで非常に興味深いのですが、私が訪問した際には博物館が閉まっていました。あとは、日本の駿河出身の武将が、この地に王として任命を受け、その地で亡くなったという場所でもあります。人口は10万人くらいの街ですので、そんなに大きくはありません。

 




 

ナコンシータマラートとは?

タイ南部の東海岸側です。

 

ナコンシータマラートバスターミナル

バスでスラタニからこの街まで約2時間。

人もゆっくりしていて、のどかな場所です。

タイは経済成長からか、バーツが非常に高いため、国民の所得はドルベースで急上昇していると思います。が、人々の生活を見ていると、『そんなの関係ねえよ。もっと給料が欲しいなあ』みたいな雰囲気が伝わってきます。

 

では、バスターミナルから、バイクタクシーをつかまえて、有名な寺院へ向かいます。

 

王室寺院ワット・プラ・マハタート・ウォラマハウィハーン

バスターミナルから、バイクタクシーで10分程度でタイ南部で最も重要な寺に到着です。40バーツくらいだったかな。

結構大きいですね。

スリランカ建築だと思いますが、どことなくミャンマーっぽいとも思える。まぁ基本的には同じ仏教ですので形はほとんど同じかと。

寄付もQRコード支払いの時代のようです。

平日の昼間ですが、結構参拝者及び観光客は多かったですね。

では、ここからトゥクトゥクでTHALAD PARKまで移動します。

大道路沿いには、昔の城壁が見えます。

小さな町ですが、駅周辺だけは込み合います。

トゥクトゥクを降りて少し歩くと、公園が見えてきます。この公園内に、博物館と山田長政の慰霊碑があります。この公園は大きいのですが、Googleで検索しても場所が出てきませんので、下に地図を載せておきます。
 




 

 

THALAD PARK – City Museum – 山田長政慰霊碑

THALAD PARKの入り口。

 

公園は広すぎて、市民はほとんどいません。夕方になれば人が集まるのかもしれませんが。

 

ここの博物館は大きくはないですが、このナコンシータマラートの歴史を知るには素晴らしい博物館だと思います。

ナコンシータマラートの街の歴史。

昔、アジア周辺国からこの街にやってきた人々。

 

山田長政像。

 

Trade

Friend froms the land of the Rising Sun have had a very long tie with Nakhon Si Thammarat of over 600 years. Type of goods from Ayutthaya that Ryukyu wanted. Tree, Pepper, Deer skin and Animal horns. Here is a record that during WW2 the Japanese army bought rice from farmers in Pak Phanang Area, Nakhon Si Tammarat’s fertile agriculturel centre, for their solders fighting in Burma.

Gorvernment
There were Japanese citizens serving in the gorvernment of king Songtham, such as OK Ya Sena Phimok (Yamada Nagamasa) who was later appointed the govenor of Nakhon si tammarat. His army fought with the rebels in Patani. He was woulded and died in here. During WW2, Nakhon Si Thammarat was one of the places that Japanese army landed with an invasion force. on 8 Dec 1941, The Thai Heros Monument marks the heroic action of fighters who made sacrifices on both sides

 

トレード
ライジングサンの土地の友人は、600年以上にわたってナコンシータマラートと非常に長いつながりを持っています。 y球が欲しかったアユタヤの商品の種類。木、コショウ、鹿の皮、動物の角。 TTここでは、第二次世界大戦中、日本軍がビルマで戦うはんだ付けのために、ナコンシータマラートの肥沃な農業センターであるパクパナン地域の農家から米を購入したという記録があります。

政府
OK Ya Sena Phimok(山田長政)などのソンタム王の政府に仕える日本人がいました。彼は後にナコンシタマラートの知事に任命されました。彼の軍隊はパタニの反乱軍と戦った。彼はここで望んで死にました。第二次世界大戦中、ナコンシータマラートは、日本軍が侵攻部隊で上陸した場所の1つでした。 1941年12月8日に、タイの英雄記念碑は両側で犠牲を払った戦闘機の英雄的な行動を示します

 

パタニの反乱軍とのことですので、すぐ南にあるパタニ王国とは戦争状態にあったわけでしょうね。

第二次世界大戦中、日本軍は大東亜共栄圏構想によりタイの7か所を侵略しました。ナコンシータマラートもそのうちの一つです。invadeと書いてありますので、タイ側の歴史としては、日本軍が侵略してきたという認識のようです。

侵略してきた日本軍と戦った英雄の像。

 

 

博物館を出て、公園の北端のほうに向かって歩きます。

 

かなり広いので、入り口から目的の、山田長政慰霊碑までは10分以上歩きます。

 

公園内の方に聞けば場所が分かりますが、地図でも表示しておきましょう。下記の赤い点の場所になります。

 

ようこそタイランド。

 

山田長政慰霊碑。

 

よく見ると、森元首相が来られていますね。

灯篭があります。日本庭園的な感じになっています。

山田長政という歴史に触れたわけですが、500年位前の話なので、感慨深いかというと、あまりそうでもないですね。

 

まとめ

タイ南部のナコンシータマラートですが、日本人なので山田長政慰霊碑を見に行きましたが、そうでなければ、

  • 王室寺院ワット・プラ・マハタート・ウォラマハウィハーン
  • ナコンシータマラート国立博物館

の二つを見に行くほうがいいでしょうね。

仏教の歴史としても遺跡としても、上の二つはなかなか他の場所でも見れないレベルのものではないかなと思います。

ではでは



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