フランス統治時代の雰囲気を残した連邦直轄領 ポンディシェリー観光

チェンナイでの観光も一通り終えて時間が余ったため、ポンディシェリーという街に行ってみました。この街は他の場所にはない特徴が多くある街です。

  • 過去にフランス統治だった(インドはイギリスが主な宗主国のため。同じような例外として、ゴアがポルトガルの統治だった)
  • フランス語話者が多い
  • インドの州ではなく、ポンディシェリー連邦直轄領ということで独立している(インド政府が行政官を決める)
  • 世界最大の実験都市オーロヴィルがある

ですので、実際に地図を見ると、ポンディシェリーは連邦直轄領扱いということで線が引かれています。飛び地になっているのは過去のフランス統治自体が飛び地だったというのが理由のようです。

このように、様々な特徴を有した街だったので、非常に興味がわいていました。半日しか滞在しませんでしたが、旅の記録を残しておきたいと思います。

 

 

 




 

ポンディシェリー基本情報

 

 

場所・地図

南インドのタミル・ナードゥ州の首都チェンナイから南にバスで約4時間の位置。

 

どんな街?概要

ポンディシェリーは、ポンディシェリー連邦直轄領の首都になります。インドには連邦直轄領という準国家的行政組織がある。インドの首都デリーも、正式にはデリー連邦直轄領になる。国でも州でもなく、連邦直轄領それぞれが独自の政府を持つ。インド国政府は連邦直轄領に直接指示ができ、それぞれの直轄領の行政官を任命できる。そのため、ポンディシェリー連邦直轄領は、インドでは特殊な場所と言える。

ポンディシェリーの歴史は複雑になります。もともとはインドにあった数々の王国の一部でした。1674年にフランスの東インド会社がポンディシェリーに貿易センターを設立しました。その後、フランス人の入植地になりました。イギリスとフランスが英仏戦争をした結果、ポンディシェリーはイギリス軍が占領しました。その後、1814年にふたたびフランスに返還しました。その後、第二次世界大戦後のインド人の独立機運に対抗できずに、フランスもポンディシェリーの行政権を放棄します。ポンディシェリーの住民が選挙で準州になることを望んだため、1963年にインドに併合する際にタミル・ナードゥ州には組み込まれずに、ポンディシェリー連邦直轄領となりました。インドは広いですが、その国土は、イギリスであったり、ポルトガルであったり、フランスであったり、様々な国に何度も植民地化されていたわけです。位置的にはタミル・ナードゥ州の中にあるようにみえますが、実際にはタミル・ナードゥ州には属さずに連邦直轄領になっています。ですが、文化と言語の大部分は、タミル・ナードゥ州に依存しています。ポンディシェリーには、フランス語話者が多く、現在でもタミル語、英語とともにフランス語が話されている。

 

 

ポンディシェリー観光

ポンディシェリーには、チェンナイのCMBTバスターミナルから行きました。CMBT Metro Rail Stationからすぐ近くですのですぐに分かります。とても大きなバスターミナルです。

ちなみにチェンナイのメトロは朝の4:30には運航しているようです。ずいぶん早いですね。

バスターミナルは広すぎて、どこに行き先のバスがあるのか?が最初は分からないと思います。とりあえず、付近の人に何度も聞くしかありません。ちなみに、この大きな建物の中に、郊外向けのバスのチケットを購入するカウンターがあります。

こちらがチケットカウンターになります。

ポンディシェリーは比較的近いチェンナイ郊外になりますので、チケットカウンターで何日か前に事前にチケットを購入するなどのことはできません。ポンディシェリーに行きたいときに、このCMBTに来て、直接ポンディシェリー行きのバス乗り場を探して、バスに乗り込みます。そして、バス内でチケットを購入するようになります。バンガロールのように、チェンナイから遠い都市まで移動するような場合は、上記のチケットカウンターで事前にバスチケットを購入することができます。

ポンディシェリーの場合は、バス乗り場を自分で探すしかありません。『ポンディシェリー、ポンディシェリー』といろいろな人に聞いたら、これがポンディシェリー行きのバスだと教えてもらえました。

なかなかきれいなバスですね。おそらくポンディシェリー行きのバスは複数ありますので、いくつかポンディシェリー行きのバスを見つけて、その後に出発時間やバスのグレードなどを考慮したうえで、バスに乗り込むのが良いでしょう。僕は最初に見つけたこのバスが見た目もきれいで良さそうでしたので、そのまま乗り込みました。

乗客とドライバーの間にドアがありますね。結論を言えば、このバスは良かったです。ポンディシェリーからチェンナイまでの帰りのバスは最悪でしたが。

料金は、合計Rs180でした。比較的大きなシートで、チェンナイから目的地のポンディシェリーまでどこにも停まらずに行けるのは良かったです。

4時間のバスですので、一度休憩します。

 

 

Auroville オーロヴィル

オーロヴィルとは、ポンディシェリー近郊にある実験的な国際的共同体のことです。付近の住民とオーロヴィルとの間で問題が発生しないように、オーロヴィル財団法がインド議会において可決されており、インド政府の人材開発省の管理のもとにあるようです。発足は1968年で、現在世界40ヶ国以上から約3000名もの人々がこの街に暮らしており、有機農法などの持続可能性を目標としたコミュニティを作っている。多くはインド人と欧米人だが、日本人も10名近く暮らしている様子。閉じた空間ではなく、現地ローカルのインド人の方も雇ったりして、ともに仕事をしたりしている様子。一見宗教団体っぽいのですが、世界最大のエコビレッジのようです。観光客がこんなところを見ることができるのか?と思いそうですが、ビジターセンターには観光客だらけです。オーロヴィルの中は、実際に生活をしている人がいるので入ることはできません。(実際の生活スタイルが見たかったのですが。)

 

Auroville wants to be a universal town where men and women of all countries are able to live in peace and progressive harmony, above all creeds, all politics and all nationalities. The purpose of Auroville is to realize human unity.

— Mirra Alfassa

理念としては、オーロヴィルを、すべての国から来た男性や女性たちが、国籍や政治や信条にとらわれずに、平和と進歩的統合ができる場所にする………というもののようです。オーロヴィル住民は通貨の代わりとして、中央口座に接続するための口座番号を与えられ、短期の訪問者は、口座アカウントとAurocard(デビットカード)を取得する必要があるようです。このように、将来の人類の新しい形のようなものをテストしているような共同体です。

 

とりあえず、バスがポンディシェリーに着きましたので、リキシャでオーロヴィルのビジターセンターに向かいます。

場所は下記になります。 オーロヴィルはポンディシェリーの中でも人気の観光地として認知されていますので、リキシャのドライバーも、オーロヴィルといえば誰でも分かっています。

ビジターセンターには現地インド人だけではなく、様々な国からの観光客がいました。特に 欧米人観光客が多い気がしました。

ビジターセンターの中にインフォメーションセンターがあります。

オーロヴィルの説明の展示が並んでいます。

一通り説明を読んだ後は、マトリマンディルという瞑想ルームに向かいます。様々なブログには、ビデオを鑑賞してからマトリマンディルに行く流れになっていると記載がありましたが、私が訪問した際は、ビデオは見たい人が見るだけであり、インフォメーションセンターでマトリマンディルを見に行くということを伝えると、チケットをいただけるので、そのチケットを持って自由にマトリマンディルに行くような流れでした。チケットは無料です。

マトリマンディルまでは、インフォメーションセンターから歩いて1kmとのことです。下記の看板にはフリーシャトルは障がい者の方向けのみと記載がありますが、気軽にフリーシャトルを利用していた方もおられたと思います。

暑いですが、歩いてマトリマンディルまで向かいます。

やっと到着です。

展望台。

遠くにマトリマンディル、瞑想センターが見えます。

結構大きいです。この瞑想センターから放射状に、「住宅エリア」、「工業エリア」、「教育エリア」、「国際エリア」に4つに広がっているようです。その周辺には、農場や林業、植物園、シードバンク、薬草およびハーブ植物、集水池があります。実験的な国際的共同体を見に行くというのも変わった感じがするのですが、大半の観光客の人はインフォメーションセンターをみて、このマトリマンディルを見て観光終了といったような感じだと思います。

ビジターセンターに戻りました。カフェには人が沢山います。お土産屋もありました。

正直言いますと、実際に理想郷 オーロヴィルで暮らしている人々の生活が見たかったというのが本音でした。実際はどういう生活をしているのか?山の中のコミュニティと言えども、実際に現地ポンディシェリーの人々とコミュニケーションをとる必要はある。コミュニティが存続するために、ある程度のベネフィットを現地ローカルにも渡さないといけないというのもあるでしょう。ビジターセンターの内容は美しい言葉が多かったですが、本音も知りたかったですね。マトリマンディルはインパクトがあってよかったですが。

では、ここからはポンディシェリー市内に向かいます。まずは、リキシャでビーチに向かいます。

 

 

Beach Road ビーチロード

1.2kmの海岸。海はお世辞にもきれいではない。波もすごく強いですね。大きな岩が海岸沿いに多いことから、ロックビーチともいわれている様子。

人は多いが、特に何もなかったかな。海岸沿いに、大きなガンディー像がありました。
 




 
 

 

ガンディー像 Mahatma Gandhi Statue

像の高さは4m。インドで3番目に大きいガンジー像です。

海岸沿いですので、当然灯台があります。

 

 

Pondicherry Light House オールドライトハウス

19世紀のフランス統治時代に作られた高さ29mの灯台。ポンディシェリーに来る船をガイドするためのものだったが、現在では新しい灯台が利用されている。

灯台の向かいに、白く映えるカフェがありました。

 

 

Le Café

もともと港湾事務所として利用されていた。ポンディシェリーで唯一の海に面したカフェ。白壁と青い海は観光客を自然をひきつけます。レストランでもあり、ツアー情報も壁に貼られ、お土産物も何もかもそろっています。そしてなんとここは24時間営業です。

では、街歩きに向かいます。

 

 

 

Barathi Park

ポンディシェリーの街の中心にある美しい公園。1689年に作られた。市民がゆっくりくつろいでいる公園。

ポンディシェリーは街の東側が主にフランス人が暮らしていたエリア、街の西側がローカルのインド人が暮らしていたエリアに分かれている。街並みが全然違う。

こちらはフランス人が暮らしていた街並み。建物の作りがフランス………というかベトナムだな。よくポンディシェリーの紹介記事には、インドのフランスと記載されていましたが、全然違うと思う。ベトナムが近いですね。ベトナムもフランス統治下でしたので、同じ歴史があるのですが、はっきり言いましょう。これはベトナムです。

ただし、看板にフランス語が使われている点はベトナムとは違います。フランス語話者も多いポンディシェリーならではですね。


 




 
 

 

Pondicherry Museum

ポンディシェリー博物館は、芸術と歴史の博物館。 チョーラ帝国の時代から失われたワックスブロンズのコレクションが有名です。チョーラ帝国とは、9世紀から13世紀にかけて、南インドを支配したタミル系のヒンドゥー王朝のこと。81のチョーラブロンズ彫刻が展示されている。

さて、西側のローカルインド人が暮らしていたエリアに入ります。雰囲気はインドですが、どことなくベトナムっぽい気がします。

 

 

Basilica of the Sacred Heart of Jesus バシリカ・オブ・ザ・サクレッド・ハート・オブ・ジーサス

立派なゴシック建築。インドのキリスト教徒にとって有名な巡礼しポットの一つ。2011年にバシリカに昇格。

 

そろそろおなかが減ってきました。私は旅行をする際は、美味しいレストランを事前にネットで探しておくタイプです。何気なく入ったレストランが美味しかった……という行動はあまりしません。人気のパン屋さんに行くことにしましょう。

 

 

 

Baker Street

ポンディシェリーで一番の人気パン屋。French Delicacies Concept Storeと記載がありますので、フランス風なパン屋ということになるのでしょう。ケーキやチョコレートもあります。ローカルのインド人もいますが、欧米人観光客も多いです。ポンディシェリーで迷ったらこのお店でよいと思います。場所は、ポンディシェリー駅の近くにあります。

味に文句を言う人は少ないと思いますが、お値段は少し高めかな。

さて、それでは宿があるチェンナイに戻るため、ポンディシェリーのバスターミナルに向かいます。


 




 
 

バスターミナルはこちらになります。

 

先ほども記載しましたが、行きのバスは良かったですが、帰りのバスは最低でした。何が良くなかったかというと、乗り合いバスだったからです。バスターミナルに着いたら、まずチェンナイに戻るバスを探します。バスターミナルには様々な会社がチェンナイ行きのバスの看板を掲げていましたので、便数や時間を気にする必要はありませんでした。バスの豪華さやキレイさには特にこだわりがないので、とりあえず安いバスを探していました。『ポンディシェリー – チェンナイ間のバスはどこですか?』と聞いて、そこら辺のスタッフが『これだ』と言われるバスに何も考えずに乗りました。

人が多いですね。いろいろなお店や人が混沌としています。

とりあえず、この安いバスに決定しました。行きのバスとは明らかに違いますね。まあエアコンは無いでしょうが、窓がありているので特に気になりません。外から入ってくる風のほうが好きですし。金額は130Rpでした。

年季がありますね。

続々と乗ってくるローカルのインド人達。行きは豪華なバスで、帰りはローカルバスなんていうのも旅の醍醐味じゃないかと思っていましたが、酷い目にあいました。

何が酷かったかというと、乗り合いバスということです。つまり、満員になるまで出発しないということです。ですので、バスは出発後、ポンディシェリー市内をグルグルグルグルと迂回し、乗客を探します。ゆっくりとゆっくりと。誰かが下りて、バスの中に詰め込めるスペースができれば、その分を埋めるためにまたグルグルと迂回を始めます。ポンディシェリー市内を出るまでに、2時間くらいかかりました。一度市内を出れば、乗客を探すことはありませんでした。市内と市内の間の区間は、通常通りのノンストップです。そういえば、高速バスなら必ずある休憩もありませんでしたね。そして、チェンナイ市内に入ると、また最終バスステーションに到着するまでずっと乗客を探し続けます。乗り心地には特にこだわりはありませんが、無駄な時間がかかるのは嫌でしたね。ちなみに、この乗り合いバスがRs130、行きに利用したバスがRs180でした。Rs50しか変わりません。約75円の違いです。たった75円安いバスに乗ったがために、シートもボロボロな乗り合いバスになってしまうとは驚きでしたね。そういうことが最初から分かっていれば、75円多めに払って良いバスに乗っていたでしょう。ちなみに、行きのバスは所要時間が4時間、帰りのバスが6時間30分くらいかかりました。この時に、インドでバスに乗るときは、多少多めに払ってもハイクラスのバスを選択すべきということを学びました。

チェンナイのCMBTバスターミナル付近に着いたときは、ずいぶん夜遅い時間になってしまいました。

 

 

まとめ

ポンディシェリー旅行記をまとめてみました。ポンディシェリーのフランス統治時代の歴史や、フランス語話者が多いという珍しい土地柄、インド政府から独立した連邦直轄領扱い、理想郷 オーロヴィル……など、他のインドにはない不思議な魅力にあふれた街でした。ただ、インドのフランスというのは言い過ぎでしょうね。ベトナムそのまんまというのが正しいと思われます。チェンナイから4時間ですので、少し長旅にはなりますが、行くべきな場所だと思いますね。

ではでは。




Add a Comment

Your email address will not be published.