インド最大の都市 ムンバイ観光

インド最大の都市ムンバイに4日間滞在してきました。ムンバイは観光都市ではないと思うので、ムンバイを旅行する人はあまりいないような気もするのですが、2000万人都市圏ですので、観光地としてというよりも、様々な文化が共存している都市でもあります。安く素晴らしいクオリティの宿も見つけましたので、短期滞在にも向いていると思います。数日も滞在していれば、観光客目線ではなく、居住者目線でも街を見ることができます。給料も環境も良い仕事があるのならば、住んでもいいのではないかなとも思いました。観光地としては、訪問してじっくり見るものよりは、一目見て満足できるようなものが多かったです。博物館はなかなか面白いですが、コルカタのインド博物館の素晴らしさには劣ります。中東が近いため、中東からの文化が混ざり合っていたりなどユニークな面もあります。

目次【本記事の内容】




 

ムンバイ基本情報

 

場所・地図

南インドと言われるが、ほとんど中インドといったほうがいいくらいか。西海岸に面しており、中東が近い。実際国際空港は中東行きの便が多い。昔は陸続きではなく、7つの島だったものを埋め立てて陸続きにした都市。なので、ムンバイ市内も埋め立ての場所ともともとから島であり地盤が良い場所に分かれている。当然高級住宅街は埋め立て地ではなく、もともとが島であって、陸地になっていた場所になる。

 

どんな街?概要

マハラシュトラ州の州都であり、地元民は英語とヒンドゥー語とローカル言語のマラーティー語を話す。実際はマラーティー語を多用するとのこと。産業は金融が主であり、インドの証券取引所などが置かれている。ボリウッドという映画産業もあるが、市民の反応は、新しい映画が上映されれば映画館に見に行く程度であり、自分たちの街は映画の街よ!!ボリウッドよ!!などという雰囲気は全く感じなかった。歴史としては、いくつかの王国があったが、ポルトガルが最初に支配し、のちにイギリスに譲渡された。イギリス支配下の間に、多くのイギリス風の建物が建てられた。そして埋め立ても進み、現在のムンバイ市街地ができてきた。ヒンドゥー教徒が多いが、イスラム教徒も多い。街を見れば、明らかにヒジャブを被った女性の割合も多い。珍しい面としては、昔イラン(ペルシャ)から渡ってきたゾロアスター教徒も住んでいる。貧富の差が激しく、タタグループなどの世界レベルの企業もある反面、スラムも多い。実際に街を歩くと、いつの間にかスラム街に入っていることも多い。(昼間なら問題ないだろうが)なお、アジアナンバーワン大富豪のムケーシュ・アンバニ氏が住んでおり、ムンバイ中心部の一等地に世界最高額(総工費870億円)の自宅を所有している。

 

ムンバイ観光

僕はゴアからバスでムンバイに行きました。14時間の寝台バスです。僕の中では最長コースかな。これほどの長時間なら、IndiGoなどの格安航空会社も考えましたが、飛行機の出発や到着の時間があまり希望に沿わなかったので、あえてバスで移動。

寝台ベッドはこのような感じ。今回の僕の旅は16日間インドに滞在していましたが、半分くらいはバスで車中泊だったのではないでしょうか。

何度か休憩してたと思うのですが、起きたのはこの一回だけ。ここはどこなんだと。とりあえず朝日が見えるので朝なのだろう。実際はムンバイから3時間程度の場所にいました。

ムンバイ市内に到着。2000万人都市圏のムンバイ。交通渋滞もひどいと聞いていましたが、個人的にはフィリピンのマニラやバングラデシュのダッカよりは遥かにマシな印象。後で気づきますが、電車も悪くなかった。アジアでは今のところ、ダッカを上回る渋滞の酷い場所は存在し得ないと思う。

バスがムンバイに着くと、多数のお待ちかねのタクシー運転手が待ち構えています。いつもの事なので何も気になりません。今頃はスマートフォンがあるので、自分が今現在ムンバイ市内のどこにいるか分かっていますし。

世界都市ムンバイを歩く。意外と普通な印象。特に危険な印象もありません。

すごい荷物の量ですね。

市場の近くを通りましたが、これはすごく合理的な鍋?みたいなものですね。カレーとご飯が鍋の中で分割されているとは。

ちなみにゴアからのバスはムンバイセントラルの近くで降ろされました。近いので、ムンバイ最大の市場に寄ってみることに。

 

 

Crawford Market クロフォードマーケット

1871年に開業。ムンバイ最大の卸売市場だが、マーケットとしてよりも建築物が貴重らしい。少しだけ見れば満足かな。

ごくごく普通の市場。世界遺産の駅が近いので、そこに移動します。

 

 

Chhatrapati Shivaji Terminus railway station チャトラパティ・シヴァージーターミナス駅

ヴェネツィア・ゴシック建築の壮麗な建築物。郊外からムンバイに働きに来る労働者が利用するため、朝は人が多い。チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅という名前だが、ムンバイの人はCSTと略していたと思う。観光客が写真を撮っていたが、入り口付近で写真を撮るよりも、地下道を通って駅の反対側に渡ってから写真を撮るほうが良い写真が撮れる。駅もよいが、ムンバイの人々が出勤をする風景を見るのもよいと思います。

ムンバイの通勤者の方々。

道路を渡ったところから撮った写真。こちらの方が良い。ちなみに、夜にここに来て写真を撮るほうがもっと良いですよ。

この辺りはフォート地区と言います。イギリス植民地時代の西洋式の豪奢な建物がたくさん残っているムンバイの観光の中心。観光客も多いため、夜でも安心な場所です。では、フォート地区を散策します。

 

 

ゾロアスター教のParsi Fire Temple

ムンバイで見たかったものの一つが、このゾロアスター教の寺院。当然中には入れません。今まで生きてきて、様々な宗教の文化を見てきていると思うのですが、ゾロアスター教は初めてです。10世紀頃、ペルシャ帝国(今のイラン)がイスラム王国に攻められ、イスラム化する際に、インドに逃げて移住してきたゾロアスター教徒は「パールシー(ペルシャから来た人)」と呼ばれている。ゾロアスター教徒は亡くなったら、沈黙の塔という森の中に遺体を置いて、猛禽類に遺体を食べてもらうという鳥葬を行います。ゾロアスター教徒は数が少ないマイノリティです。どこの国もそうですが、マイノリティの人は最初から権利が弱いので、一生懸命勉強をしたり、事業を起こしてお金を稼がないと、ほかの人と同じように生きていくことが難しくなります。そのため、ゾロアスター教徒はお金持ちや事業家が多いようです。インド最大の財閥のタタグループの総裁もゾロアスター教徒です。ちなみにクイーンのフレディ・マーキュリーは、両親がインド生まれのゾロアスター教徒であった様子。

 

ゾロアスター教寺院

一風変わったモニュメントに思えます。

すぐ近くにも、別のゾロアスター教寺院がありました。寺院が多いということは、フォート地区には多くのゾロアスター教徒が住んでいるのだと思われます。

すぐ近くに、ゾロアスター教徒の方のパン屋さんがあります。ネットでも非常に評価が高いお店でしたので寄ってみることにします。
 




 
 

 

Yazdani Bakery

朝だからか、あまりお客さんはいませんでした。しかしパンの美味しそうなにおいが良かったです。ちなみに夜にこのお店の前を通りかかったら、すごいお客さんの数でした。大人気店ですね。

パンはすごく美味しかったです。

パンを食べている最中に、別の席にインド系ではない女性が座っていました。肌の色は白く、サリーを着ていない。しかしインドの言葉を話していました。昔の先祖様が中東からムンバイに渡ってきたパルーシーの女性だったのかもしれません。

ムンバイに来たら、ぜひとも美味しいパンをどうぞ。

 

 

Horniman Circle ホーニマン・サークル

フォート地区の中心部のちょっとした公園。この周辺が最もモダンな建築物が並ぶ。ムンバイで初めてのスターバックスもこの周辺にある。

人々が、木の陰に座ってゆっくりとした時間を過ごしています。

 

 

映画館

ムンバイにある昔ながらの古い映画館は、アールデコ調であったり特徴的なものも多い。座席数も少ないし設備も近代的ではないので、若い人はみんなショッピングモールの映画館に行くだろうが、古い映画館もいまだに残っている。基本的にフォート地区周辺にあります。

EROS Cinema

EDWORD THEATRE

METRO cinema

ムンバイがインドの最終地点だったので、帰国時のお土産を買いたかった。ですので、フォート地区にあるお土産屋さんに行ってみることにした。
 




 

 

The Bombay Store ザ・ボンベイ・ストア

オシャレで、センスの良いお土産が多い。けど少し高いかな。フォート地区内にあります。

一度宿にチェックインし、それからムンバイ市内を歩いて回ることにした。宿は、Backpacker Panda Colabaという安い宿に泊まりました。素晴らしい宿でしたので、あとで詳しく後述します。宿の場所がムンバイのフォート地区にあったため、初日はその周辺を観光することにしました。まずは海を見に行きました。
 




 
 

 

Marine Drive マリーン・ドライブ

ムンバイ市内の南側に弧を描くような海岸があります。それがマリーンドライブ。ムンバイ市民が集まって友達と遊んだりする場所です。ナリマンポイントというビジネス街が近くにあるため、昼間はスーツ姿のビジネスマンも集まります。海岸と高層ビルが同時に並ぶ光景は美しいのですが、あまりきれいなビルばかりではないのがムンバイ。同じ人口2000万人都市のマニラに似ている感じがします。マニラも同じような高層ビルが建ち並び、そしてマニラ湾という市民が集まる場所があります。あとから気づくことですが、人口は同じくらいですが、都市の規模としてはマニラの方が遥かに上だった気がします。

時間はお昼のランチタイム。

遊歩道は整備されています。

仕事の合間にくつろぐ人々。インド最大の経済都市ムンバイですので、さすがスーツ姿の人が多かったです。ちなみに、日中は暑いですし、景観の美しさからしても、マリーンドライブは夜に訪れた方がいいと思います。特に意味はないと思いますが、ケララ州のコーチにある海岸の遊歩道も、マリーンドライブという名称でした。インドでは、海岸沿いの遊歩道に、マリーンドライブと名付けることが多いのかもしれません。

湾はあまりきれいではないですが、現地インド人はそんなことは気にしません。

なお、マリーンドライブ周辺には、K.Rustoms & co. Ice Cream Parlourという地元人に有名なアイスクリーム屋があります。昔ながらのアイスクリームのような感じです。暑いですので、いったん休憩という形で寄ってもいいかもしれません。

場所は下記となります。

入り口付近の写真。

店内はさほど広くはありません。

料金表。一人で食べるならSingleでよいと思います。昔ながらのアイスクリームだからか、そんなに高くないですね。

海岸線を歩いていたら、ずいぶん歩きました。初日はおそらく20kmは歩いたでしょう。マリーンドライブを端から端を歩いて、丘を登ったところに庭園がありました。この周辺はマラバールというエリアになり、高級住宅街になるようです。

 

 

Hanging Gardens 空中庭園

ごくごく普通の公園ですが、比較的Googleのレビューも多かったので寄ってみました。市民の憩いの場です。丘の上にあるので、夕方はアラビア海に沈む夕陽を見ることができます。ムンバイの貯水地の近くにこの空中庭園があるようですが、空中庭園の近くには、ゾロアスター教徒が鳥葬を行う沈黙の塔があります。地元の人によっては、気にする人もいるようです。

空中庭園からの景色。

庭園は丘の上にあります。丘の上からムンバイ市内に向かって降りて行くと、ゾロアスター教の沈黙の塔があります。当然ゾロアスター教徒以外は入ることはできません。沈黙の塔は、このマラバールの丘には複数あるようです。後述する、Dr.Bhau Daji Lad Museum ドクター・バウ・ダージ・ラッド博物館にいけば、沈黙の塔の模型を見ることができます。

さて、時間も夕方になってきました。ムンバイにはイスラム教徒も多いので、モスクが多いです。そこで代表的なモスクに行ってみることにしました。現地の人は、ハジ・アリと言います。

 

 

Haji Ali Dargh ハジ・アリ霊廟

ムンバイのランドマークの一つです。異教徒でも気軽に入れます。湾にモスクにつながる細い道があります。その細い道の入り口で、なぜか外国人は頭に被りものをしなければならないということで、Rs100払わされました。ですが、そのような被り物をしている人は他にあまりいませんでしたので、必要なかったのだと思います。

モスクに続く道はお土産通りになっていますね。

モスクはあまり大きくはない。参拝を終えた人たちは、海を見て一休みしていました。

中に入って、一枚だけ写真を撮る。

歩き回って疲れたのですが、先程のマリーンドライブの夜が見たかったので、電車で移動しました。ムンバイの電車は使いやすかったです。メトロではないのですが、電車の幅が通常の電車の2倍近くあります。便数も多いので快適でした。当然ドアは開きっぱなしですが。電車については後述します。

ムンバイの夜は気温も下がるし、雰囲気も良い。特に危険な雰囲気もありません。まあ治安については場所によっては良くないところも多いと思いますが、こういう多くの人が集まる観光地は問題ありません。なかなかこういう色の夜の写真が撮れた事はありません。素晴らしい時間でした。

3.6kmも続くプロムナード、英語のCの形をしたムンバイの西南西を貫く大きな道路でもあります。夜は道路のライトアップが真珠のネックレスにも見えることから、”女王のネックレス”とも言われている。

雰囲気は良いですが、僕は旅人なので、長い滞在はできません。夜が遅くならないうちに宿へ戻ります。宿へ戻る前に、チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅に寄ってみました。夜の写真を撮ってみたかったですからね。

やっぱりムンバイは夜の方が素晴らしい雰囲気を見せてくれますね。

では、歩いて宿まで戻りますが、夕食を食べないといけませんね。ですが、フォート地区周辺は、多国籍なレストランが多く、選択肢は非常に幅広いです。ただでさえ物価の高いムンバイでかつ観光客向けのエリアになりますが、お得なレストランも多いです。

 

 

Bademiya

フォート地区のザ タージ マハル パレスの近くにある、ケバブレストランになります。Googleのレビューの評価も高く、実際に非常に多くのお客さんがいました。価格は高くないですが、味は抜群に美味かったです。ケバブ以外にも他の料理も食べましたが、どれもとても美味しかったです

またこのお店は、店内以外にも、外にお店が2つありました。二つあるのは、ベジタリアン向けとそうでない向けに作っているようですね。

外でケバブも注文しました。素晴らしい味でした。

夜のフォート地区はおしゃれでかつ活気があって良い。そして安全です。


 




 
 

 

Gateway Of India Mumbai インド門

宿でぐっすり寝て、疲れは取れました。基本的にインドの旅では、夜どこかに遊びに行くということがほとんどありませんでした。昼は観光、夜は夕食を食べて、その後は宿で寝る。ですので、あまり翌日に疲れを残すということはあまりありませんでした。なぜ他の国を旅行する時のように外に飲みに行くなどのことがなかったのかというと、基本的にインド自体がヒンドゥー教などの影響からか、酒を普段から飲むような文化ではない。基本的に慎みのある社会性だから、自然とそういう慣習になっていたのでしょう。もちろん場所にも人にもよります。ゴアは飲む場所でもあるでしょうし、カジノをするような場所です。人によっては飲んだり遊んだりの人が多いと思いますが。。。

さて、翌日はインド門を見に行きました。ムンバイのランドマークであり、代表的な観光地です。このインド門は、英国の皇帝ジョージ5世と女王が1911年にムンバイを訪れることを記念して作られたものです。なんどかこの周辺でテロが過去に起こっています。2003年には周辺に駐車していたタクシーから爆弾が爆発しました。2008年のムンバイ同時多発テロもこのインド門で起こっています。滞在時に数日式典が行われており、観光客が自由に入ることが許されていませんでしたが、写真を撮ることはできました。

12月2日に皇帝と女王が来ることを記念して作られたものと記載があります。

インド門は確かに重厚なのですが、歴史的にもただの門です。デリーにあるインド門のように、第一次世界大戦で亡くなったインド人兵の英霊に捧ぐなどの深いものでもなく、貴族が来るために建てられたものです。確かに重厚なのですが、特に深く思うところはなかったです。すぐそばに、タージ マハル パレスがあります。

 

 

The Taj Mahal Palace タージ マハル パレス

基本的にはタージ マハル パレスは宿泊客のみが入ることができます。でも、中に入ってみたい人もいますよね。僕も一度、中に入ってもいいか?と聞いたら、守衛さんにダメだと言われました。ではどうすれば入ることができるのでしょう?答えは簡単です。ホテル内に、Sea Loungeというカフェがあるので、そこでお茶でも飲みたいと伝えれば良いのです。

これで問題なく中には入れるのですが、一つ注意点として、Sea Loungeは午前中は宿泊客のための朝食場として解放されているようなので、午前中は入れません。宿泊客以外の方は、11:45以降から利用できるようです。細かな時間については、適宜確認をお願いします。

ザ タージ マハル パレスのロビー。

世界各国の著名人がこの ザ タージ マハル パレスを利用しています。

高級ブランドショップもあります。宿泊客以外は入れないようなホテル内にブランドショップが置いてあるというのも変わっていますね。高級ホテルに宿泊する宿泊客が購入するだけで、十分に利益になるということなのでしょうか。もしくはこのホテル内にショップを構えるということがブランド力向上につながるということでしょうかね。

ホテルの通路。

Sea Lounge。

ここからしか見ることのできない景色。

ティーもそんなに高いわけでもないので、気軽に来ても良いと思います。

この時Sea Loungeに来た時には、2日連続で深夜バス移動だったので、お風呂に全く入ってないバックパッカー野郎だったのですが、そんな男でもこういう格式の高いティーを楽しむことができます。

ただし、この ザ タージ マハル パレス。ホテルとしては歴史もあり格式も高いでしょうが、もっと良いホテルは他にもたくさんあると思われます。個人的には、以前ブルネイで見た The Empire Brunei には程遠い感じでした。

 

 

Leopold Cafe

ムンバイで最も人気のあるカフェの一つ。1871年にイランから渡ってきたゾロアスター教徒が開業したお店。ペルシア王国時代のイラン人とはまた違い、19世紀初頭にインドに渡ってきた人達。彼らの多くが、Irani caféと呼ばれるレストランをオープンした。2008年のムンバイ同時多発テロでは、テロリストによる攻撃を受けた。手りゅう弾による爆発や発砲を受けて、多くの死傷者が出た。大人気のカフェのため、夜は並ばないと入れないだろう。逆に朝のオープン時はあまりお客さんが多くないのでゆっくりできます。

味は普通なので、雰囲気を楽しみましょう。

観光客向けでもあるので、金額は少し高めになります。本当にローカルの料理を楽しみたければ、Leopold Cafeの向かいにあるOlympia Coffee Houseがおすすめです。

 

 

Olympia Coffee House

特に観光地ではないのですが、金額が安く、味も美味しいです。長く滞在していれば、ここをよく利用するほうが良いでしょう。Leopold Cafeのように観光客もいませんので、逆にローカルの雰囲気を見ることができます。

さて、本日はムンバイの北部を観光しようと思っていました。誰もが見に行く観光地のドビーガートまで、電車で移動したいと思います。ムンバイに4日間の滞在中は電車をよく利用しました。ムンバイの電車は個人的には素晴らしい品質でした。後で細かく記載します。
 




 
 

 

Dhobi Ghat ドビーガート

ムンバイにあるオープンエア洗濯場。ムンバイのホテルや病院の服などを洗っている。1890年に始まった。屋外洗濯場としては世界最大の面積を誇る。とても人気のある観光地のため、洗濯場全体が見渡せるように、展望台がある。Dhobi Ghatという言葉は、インド全土で使用されており、多くの洗濯機が置かれている場所を意味している。Mahalaxmi駅を出てすぐにある橋の上から全景を眺めることができる。手作業の洗濯もあるが、大型の洗濯乾燥機も設置されている。

まずはMahalaxmi駅まで行きましょう。

洗濯をしている人たちは仕事をしているので、展望台から見下ろすというのはちょっと申し訳ない気もしました。が、ムンバイ市としてこのような展望台を作っているので、使わないわけにもいきません。

ドビーガートの全景です。

よく言われることですが、高級住宅街のコンドミニアムと貧困層のドビーガートの絵に差があります。アジアの大都市にはどこでもこのような風景はあるのですが、特にムンバイは、高級エリアと貧困層のエリアがほとんど引っ付いている隣同士になっています。他のアジアの大都市(例えばフィリピンのマニラやインドネシアのジャカルタ)はもっとお互いの距離が離れています。ですので、ムンバイの場合は、普通に観光で歩いていると、スラム街に入ってしまうような感じになります。

どうせなら洗濯場に入ってみようと思いました。ブログなどを読んでいると、入場料をガイドに払うと中に入れるとのことでした。ですが、下に降りてみてもガイドなどいません。しょうがないので、入り口付近から、皆さんが仕事をしている状況を観察していました。入ってもいいぜ!と普通に手招きをしてくれる人もいたのですが、彼らは仕事中ですので、敬意を払う必要があるなぁと思い、中には入りませんでした。中に入って、皆さんの仕事の邪魔をするわけにもいかないですからね。

しかし、キレイに洗濯されているものですね。

では、先ほどの高級住宅街の方へ向かってみましょう。外国人も多く居住する地域のようです。歩いていると、いろんなストリートアートがありました。

まぁどこのインドの大都市にもあるのですが、Phoenixショッピングモールです。どういう場所が高級住宅街であったり、ムンバイに住む人々がどのような生活を送っているのかに興味があるのであり、ショッピングモールの中のブランド物には興味はないです。

 

 

High Street Phoenix

しかしきれいなショッピングモールです。警備員もちゃんといるので、実際にムンバイに住むようなことがあれば、よく利用するショッピングモールになるでしょう。

周辺はビジネスエリアでもあります。

高級住宅街を見終わりました。この近辺には、昔ムンバイで亡くなった日本人の墓地があります。ムンバイと日本の歴史を知りたいと思い、行ってみることにしました。
 




 
 

 

Japanese Cemetery Mumbai ムンバイ日本人墓地

場所は非常に分かりにくいのですが、下記の地図の場所に、墓地への入り口があります。下の写真のような入り口があります。ヒンドゥー教徒の方のための広い墓地だと思うのですが、一部分だけ日本人向けの墓地があります。


この中に入って、『日本人だが、ここに日本の墓地があると聞きました』と誰かに聞くと、場所まで案内してくれるでしょう。アジア中のいろいろな都市の日本人墓地に行きましたが、日本人の墓地があるということはスタッフの方は知っているので、『日本人です』と伝えるだけでも案内してくれるでしょう。敷地内の奥にあるのですが、下記のようなお堂があります。インド人のおばあさんとその娘さんのような方々が掃除をしています。管理費は日本人会が払っているのだと思われます。

お堂の中に入って線香をあげます

敷地内には、供養塔があります。

第二次世界大戦時に亡くなった日本人の方々ではなく、基本的に戦前にムンバイに暮らしていた方々の供養塔です。

日本から飛行機で10時間もかかるような南アジアの果てまで来て墓地を参拝することになるとは思ってもいませんでした。さて、この墓地の近くには日本の仏教のお寺があります。インドには、いくつかの日本の宗派がお寺を持っていますが、今回は法華宗になるようです。以前インドのブッダガヤで訪問した日本のお寺は別の宗派だったようです。

 

 

Nipponzan Myohoji Buddhist Temple 日本山妙法寺

妙法寺に着くと、現地の子供たちやその両親で入り口が埋め尽くされていました。なんでも、近所の子供たちが勉強をしたりしているとのこと。そして両親が迎えに来ていたようです。元気の良さそうな子供たちを見ていると、こちらの住職が私に気づいたようでした。そこで、お時間も忙しい中、1時間ほど日本とムンバイの歴史などについてお話を聞かせていただきました。

100年以上前は、ムンバイには3000人を超える日本人が住んでいた。日本の商社やその従業員が多かった様子。南インドにはデカン高原という台地が果てしなく広がっているが、そこで取れる綿の貿易が儲かっていた様子。また日本国は非常に貧乏だったため、からゆきさんも非常に多かった。海外で働く日本人が日本に送金する金額では、からゆきさんの送金額が大変な割合を占めていたという事。2020年現在は、ムンバイに住む日本人は1000人程度とのことですので、ずいぶん減っていますね。

インドに来て、これだけ日本語を話したのは久しぶりでした。いろいろお話を聞かせていただいた後は、いくつかこちらのお寺が発行している冊子をいただきました。感謝です。

では、また電車で移動します。次は、アジアでも最大級のスラム街のダラヴィです。とはいえ、駅からスラム街を見ただけでした。

 

 

Dharavi ダラヴィ

Mahim Junctionという駅からダラヴィというスラム街を見ることができます。お昼時ならば入っても良いかもしれません。しかし、人々は普通に生活をしているので、敬意は必要です。もし見たいのならば、ツアーのほうが良いと思われます。僕は、普通に駅から見える光景を見ていただけでした。基本的にインドは駅の裏あたりはだいたい治安のあまり良くない場所になる気がします。インドという国家やインドにあるグローバル企業にはお金が集まっていますが、多くの市民には分配されません。

ここからは、また高級住宅エリアに行きます。あまり中間層のようなエリアに行っていない気がします。貧富の差が激しいのもインドの特徴です。次はBandraというエリアに行きます。ムンバイには、ハリウッドをもじった、ボリウッドという映画産業がありますが、映画スターが多く住むといわれるエリアです。また、インドの映画を鑑賞することはおすすめです。なぜなら非常に面白いからです。ダンスの動きも面白いです。また、インド映画は長いです。4時間程度あります。そのため、前半と後半に分けられているので、前半が終わると、Intervalということで、10分程度の休憩があります。その後に後半が始まります。

Bandraは海に近くなります。Bandraは豪邸が多いです。ローカルのインド人は、どこの家に〇〇の映画スターが住んでいる!とかいろいろ噂をしたりして楽しんでいるようです。人気地区のため、観光客も多いので車も多いです。

ちょっとおしゃれな感じの店も多い。

ローカルのインド人はみんな何を見にBandraに来るのでしょうか?みんな、シャー・ルク・カーンの家を見に行きます。シャー・ルク・カーンとはインドで一番人気のボリウッドスターです。一度くらいは、何らかの映画で見たことがある人もいるのではないでしょうか?僕も何度か映画を見たことがあります。

 

 

Sharukh Khan House(Mannat Bandstand) シャー・ルク・カーンの家

すでにシャー・ルク・カーンの家の前にはたくさんの人がいます。

右側の屋敷がシャー・ルク・カーンの家です。

みんな、シャー・ルク・カーンの家の門で写真を撮っています。

 

 

Bandra-Worli Sea Link バンドラワーリシーリンク

ムンバイの西部のバンドラ地域とムンバイ市内の南側のウォーリを結ぶ斜張橋です。特筆すべきことはないのですが、景色が良いため、ムンバイ市民が集まります。

なお、このBandra地域の海岸には、I love Mumbaiがあります。見たい人もいるかもしれませんので、場所を記載しておきます。

しかし、このモニュメント自体は立派なのですが、このモニュメントは少しスラム街のようなエリアになります。実際下記の写真でも、地元住民がモニュメントに座っています。あまり観光客向けではないかもしれませんね。

さて、夜も遅くなってきたので、フォート地区へ戻ります。

 

 

Fort フォート地区

夜のフォート地区は素晴らしい。昔のイギリス時代の建物と、今現在の新しい文化が混ざり合って、美しい景観を見せてくれます。これほど歴史の厚みを感じさせてくれる地域は、世界中を探しても、あまり例はないと思います。美しいフォート地区で、人気のカフェに立ち寄ってみました。

Kala Ghoda Cafe

外はお洒落ですが、中は普通のカフェです。ですが、どうもカフェの奥に隠し扉のようなものがあり、そこから奥の部屋はお酒が飲めるバーになっているようでした。インドではヒンドゥー教のため、人前でお酒を飲みにくいです。しかしフォート地区は外国人も多いエリア。そのため、奥に部屋をつくって、そこでお酒を飲めるようにしているのでしょう。

とりあえずケーキを注文。味は普通。

インドなので、マサラチャイを注文。これまた味は普通。インドでチャイを飲むときは屋外のお店でいいと思いました。オシャレなカフェでチャイを注文しても、味は全く一緒で数倍の料金をとられるだけです。

夜のフォート地区。

夜のタージマハル・ホテル。

夜のインド門。

フォート地区は昼と夜の両方に訪れるべきだと思います。タージマハル・ホテルもインド門もです。
 




 
 

 

Mani Bhavan Gandhi Sangrahalaya マニ バワン ガンジー博物館

こちらはガンジーの博物館であり、1917年から1934年までガンジーのムンバイでの政治活動の中心として利用されていた歴史的建造物です。ガンジーの友人が所有していた家を、ガンジーが利用していたわけです。外国人観光客も非常に多いです。入場料は無料で、写真を撮っても問題ないようです。なお、この博物館は、2010年11月にアメリカのバラク・オバマ大統領とミシェル・オバマ夫人が訪問しています。バラク・オバマは過去50年間でマニ バワン ガンジー博物館を訪れた最初の著名な国際訪問者となりました。

1階には、ガンジーの幼少期から暗殺までの写真ギャラリーがあります。

ガンジーがこの建物に滞在中に使用した部屋は2階にあり、ガラスのパーティションを通して、2つの回転する車輪、本と床のベッドを見ることができます。

 

 

Mukesh Ambani House (Antilia) ムケーシュ・アンバニ宅

アンティリアはインドのムンバイにある個人の家です。インドの億万長者ムケーシュ・アンバーニとその家族の住居。ムケーシュ・アンバーニは、インド最大の民間企業であるリライアンス・インダストリーズの会長であり、その筆頭株主です。2018年に中国のジャック・マーを越えてアジアNo.1の富豪になっています。2012年に居住開始。27階建てで高さ173m、40000平方メートル、3つのヘリポート、168台の車庫、巨大ダンスホール、80席ある劇場、テラスガーデン、スパ、寺院を含む高層ビルは、世界最大の個人宅です。マグニチュード8の地震に耐えるように設計されており、建物は神話上の島アンティリアにちなんで名付けられました。また、このアンティリアでムケーシュ・アンバーニと家族のために働くスタッフが常時600人います。総工費870億円のこの家は、英国王室の財産であるバッキンガム宮殿に次いで世界で2番目に価値のある住宅であり、世界で最も価値のある個人住宅です。物議を醸すデザインと単一家族による誇張された使用により、インドでも評判が悪いようです。3つのヘリポートに関して、インド海軍はムンバイの建物にヘリポートを建設することを許可しないと述べているようですが、誰も何も言えないのか、ヘリポートはそのまま存在しています。


周辺のビジネスビルやコンドミニアムよりも背が高いです。この建物は高いので、周囲のスラム街を見下ろすことができるでしょう。

ちなみに当然ですが、このアンバー二氏の自宅周辺は高級住宅街です。おしゃれで高級なスーパーマーケットもいくつかありました。そこで買い物をしているローカルインド人の人たちは、身なりも素行もずいぶん今までにいろんな街で見たインド人とはいくぶんか違う感じの方々でした。お金はありそうでしたが、店員さんに対する態度はあまり褒められたものではなかった・・・そういう気が少しだけしました。さて、この辺には国立映画博物館があります。

 

 

National Museum of Indian Cinema 国立映画博物館

ムンバイはインド映画の中心地です。年間の映画制作本数はアメリカのハリウッドを超えており、ボンベイをもじってボリウッドと呼ばれています。とはいえ、ムンバイ市民はそのことを特に気にはしていないような気がします。街を歩いていても、Bollywoodなどの看板も全くありません。せっかくムンバイに来たので、インドの映画産業を知りたい場合は、この映画博物館に立ち寄るのが良いでしょう。観光客はあまりいませんでした。映画の街ムンバイとしては、少しさみしい気はします。チケット代は少し高めな気がしますが、写真撮影は問題ありません。

 




 

 

 

Dr.Bhau Daji Lad Museum ドクター・バウ・ダージ・ラッド博物館

ドクター・バウ・ダージ・ラッド博物館(旧名:ビクトリアアンドアルバート博物館)は、ムンバイで最も古い博物館です。動物園が併設されていますので、休みの日は家族連れが集まります。1855年に装飾工芸品の宝庫として設立されました。後にインドの有名な医師のバウ・ダジ・ラッド博士に敬意を表して改名されました。

入場料は安く、博物館そのものは特に広くありません。ムンバイの歴史や装飾品が並んでいますので、ムンバイについて学ぶこともできます。ムンバイに住んでいる多民族の文化についての詳しい展示もあるのですが、その際にゾロアスター教の沈黙の塔のレプリカがあります。これは必見です。

外国人はRs100です。あとで訪問することになる チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ヴァーストゥ博物館 に比べたら、全然安い金額です

館内は写真撮影可能です。現地ローカルインド人は、大きなカメラを使って撮影している人もいました。

沈黙の塔。ゾロアスター教徒は、遺体をこの塔の中に納め、その遺体は猛禽類が食べます。

 

 

BKC Bandra Kurla Complex

BKCはインドで最も有名な商業の中心地。約40万人が働いていて、インドの国立証券取引所も置かれています。ファイザー、JPモルガン、シティ銀行などの外資巨大企業もあれば、Amazon.com、Netflix、Google、IBMなどのIT企業も拠点を置いています。当然India Oilなどのインド国内の巨大企業も多数あります。米国ムンバイ領事館などのいくつかの国の大使館もこのBKCにあります。また、日本の新幹線建設予定地でもあります。フィリピンのマニラのBGCやマカティなどの洗練された巨大ビジネス街を想像していましたが、全然そんなことはなかったです。巨大ビジネスビルはありますが、ちょっと脇道にそれれば整備されていない街並みに入ります。ショッピングモールは建築中のようですが、電車などの交通網も整備されてはいないため、まだこれからのビジネス街だと感じました。

大通りです。歩道はまだ整備されていません。

非常に大きな敷地がありまして、そこで10近いクリケットチームが試合をしていました。

クリケット広場の近くに大きな広場がありました。ここの敷地が、日本政府とインド政府が合意をした新幹線駅の予定地だと思われます。ムンバイ – アーメダバード間HSR( Mumbai–Ahmedabad high-speed rail )見る限り、全然工事が進んでいるようには見えません。

ドイツ銀行のビル。非常にユニークな形をしています。

Weworkもここに支店があるようです。

 
 




 
 

 

Chhatrapati Shivaji Maharaj Vastu Sangrahalaya チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ヴァーストゥ博物館

以前はプリンスオブウェールズ博物館と呼ばれていましたが、マラサ帝国の創始者チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージにちなんで、植民地だった頃の名前の「ボンベイ」が現地語の「ムンバイ」に市の名前が変更された後、博物館の名前が変更されました。長いので、CSMVSと略されます。博物館のコレクションには、約50,000の工芸品が含まれています。博物館のコレクションは、主に芸術、考古学、自然史の3つのセクションに分類されます。この建物はインドサラセニア様式の建築様式で建てられており、ムガール、マラタ、ジャイナなどの他の建築様式の要素が取り入れられています。1904年、将来のジョージ5世であるプリンスオブウェールズがムンバイに訪問することを記念して建設された建物です。その際に、多くの建物が建てられました。そのうち、 ボンベイ高等裁判所の建物、そしてその後、 インドのゲートウェイの建物が最も有名な建物でした

 

入場料はRs650ですので、外国人向けといえども、インドの相場からするとかなり高いです。展示内容からすると、入場しても良いしどちらでもいいかなと感じました。

写真撮影用の料金を支払うと、下記のリストバンドをつけることになります。これをつけてない人が写真を撮っていると多分怒られます。

 

 

 

University of Mumbai ムンバイ大学、Rajabai Clock Tower ラジャバイ時計台

ムンバイ大学。以前はボンベイ大学として知られていた。ほとんどのカリキュラムは英語で行われる。1857年に設立され、2つのキャンパスがある。そのうちの一つはフォート地区にあるため、観光客は立ち寄っても良いだろう。しかし、守衛さんに止められる可能性もある。(本来大学というものは開かれているはずなので、どの国であろうと学生でないとしても自由に入っても良い文化があるはず。実際に今迄様々なアジア中の大学キャンパス内に入ったことがあるが、部外者ということで止められた記憶が無い。だが、インドはそういう部分が細かい国なのだろう)ムンバイ大学は世界でも有数の巨大な大学である。ムンバイ大学は、イギリスのロンドン大学をモデルにされているとのこと。

ハリーポッターの世界で出てきそうな学校ですね。

ムンバイ大学のフォート地区キャンパス内には、Rajabai Clock Towerという時計塔がある。85mの高さがあり、ベネチアとゴシックの建築スタイルであり、ロンドンのビッグベンをモデルにされた。1878年に完成。世界遺産に指定されているが、現在は閉鎖されている。理由としては、この塔から自殺を試みる者がしばしばいたからなのだそうだ。

 

 

Chowpatty Beach チョウパティー・ビーチ

マリーナドライブに広がっている市民ビーチ。誰でも入ることができますが、この水域の周辺はあまりキレイではないため、泳ぐ事は避けるように言われています。

さあ、ムンバイ滞在最後の夕方になってきました。空港に近づく必要があるので、最後は空港近くのヒラナンダニという高級住宅街を訪れてみようと思います。旅行では、観光地だけではなく、実際の人びとの生活スタイルや、仮に自分がこの街に住んだらどのような場所に住むかなどもいつも考えながら旅をしています。

あれが、高級住宅街のヒラナンダニ。スラムエリアと高級コンドミニアムの距離が相当近いですね。

あの山の上の家はすごいですね。今にも落ちそうです。相当危ないと思われます。

 

 

Hiranandani

Hiranandaniは、ムンバイ市の北側にあるコンドミニアムや商業施設で構成される高級住宅街です。 ヒラナンダニはHiranandani Groupによって建設されました。外国人が多く住むエリアでもあり、日本人学校もあります。治安の良い地域です。私は近くの駅からヒラナンダニに歩いてきましたが、ヒラナンダニに来るまでにはスラム街を越えてきました。ムンバイ市はそこらじゅうにスラムエリアがあります。そしてそこらじゅうに高級住宅街があります。明確に分割されてはいますが、ほとんど隣同士なのがムンバイの特徴かなと思います。通常の街は、高級住宅街とスラム街の間に、何らかの緩衝的な中間レベルのエリアがあると思うのですが、ムンバイにはないのですね。いや、どこの都市でもこういう感じだった気もします。つまりインド政府の政策として、全市民の経済レベルの底上げという視点がないのでしょう。

学校。

デベロッパーの販売支店。

Hiranandani Garden

まだまだコンドミニアムを建築中のようです。インドの人口伸び率は中国を遥かに上回っているようですので、供給過多になることはないのでしょう。

 

このヒラナンダニを最後に、ムンバイ国際空港へ向かうことを決めました。本当はフェニックスモールに行って、ショッピングモール内でゆっくりする予定だったのですが、バスが長い間来なかったので、予定を変更して、空港で飛行機の出発時間まで時間を潰すことにしました。ムンバイ国際空港まで行くことは非常に簡単です。現在は空港周辺にメトロが走っていますので、メトロのAirport Road駅まで行きます。そして、そこから1km程度歩いて空港に向かうだけです。空港で勤務するローカルのインド人も駅から歩いて空港に通勤しているようです。


Airport Road駅からムンバイ国際空港までは一本道ですので、迷うことはないでしょう。車の交通量も多い道です。なお個人的には、左側の歩道を歩いて空港に向かうのがお勧めです。空港近くの最後のショップがあります。金額も安いので、飲み物を買うなりゆっくりしても良いでしょう。空港のレストランなどは高いですので。

16日の長い旅でした。コーチから始まり、チェンナイに移動し、バンガロールからゴアへ移動、その後は最後の都市ムンバイに。旅で特に困ることはありませんでした。インドの暑さの中、とにかくよく歩きました。毎日10km近くは歩いたかな。強いて言えば、16日間の旅行の中で、半分近くは寝台バスで寝たのが疲れたかな。風呂に入りたかった。2020年2月の旅でしたので、コロナウィルスの影響が旅に出てきた時期でもありました。『日本人は宿泊を拒否される』などの噂も聞きましたし、インド人から『コロナ野郎!!』と罵られることもありました。僕は日本国籍者ですが、マレーシア在住なので、日本のコロナウィルスの話は僕には無関係なんですけどね。

全ての旅程を終えて、遂にムンバイ国際空港へ到着。すべてやり切りました。

ムンバイ国際空港に歩いて行く場合は、付近の車の交通量が多いため、少し迂回をして空港内に入るようになるでしょう。とはいえ、分からなければ、近くの人に聞けば大丈夫です。ムンバイ国際空港は、インドではデリーに次いで2番目に乗客数が多い空港です。正式名称は、Chhatrapati Shivaji Maharaj International Airportと言います。略称はとなります。流れるような流線形の空港はとても先進的です。

シャー・ルク・カーンのエアコンの広告

 

空港内もおしゃれですね。

イミグレを抜け、遂に長かったインドの旅に終止符を打ちました。ホッとしました。インドの旅は他の国やリゾートを旅行するような楽しいだけのものではなかったです。厳しさや不自由に悩まされる戦いの日々でもありました。すべてをやり遂げ、あとは帰るだけです。イミグレを超えるとすぐに免税コーナーです。

空港内にはアートコーナーもあります。

タバココーナーもあります。

この一部分しかありませんが、仮眠ができるフラットベッドコーナーもあります。

フードコーナーも広いのですが、価格が高いです。通常の市内の物価の3倍はしていました。

しかし、自動販売機のお菓子はとても安いです。市場売価と同じです。出国前でインドのお金をあまり持っていない場合は、こちらのお菓子を買うのも良いと思います。

庭園コーナーもあります。

長い旅でしたが、帰国します。ありがとうございました。


 




 

 

ムンバイへの行き方・アクセス

 

 

ムンバイの空港・空港から市内まで行く方法

ムンバイ国際空港からムンバイ市内のどこに向かうのか?については、観光客の多いフォート地区としましょう。現在ではムンバイメトロと鉄道があるので、比較的簡単でしょう。ただし、乗り換えと若干歩く必要があると思うので、所要時間は2時間近くはかかるのではないでしょうか。タクシー等に関しては渋滞があるかないかによって、所要時間は随分と変わるでしょう。

具体的には、ムンバイ国際空港から徒歩かタクシーでムンバイメトロのAirport Road駅へ向かいます。その後Airport Road駅から、メトロを利用して、Andheri駅へ向かいます。そして、メトロのAndheri駅から、鉄道のAndheri駅まで徒歩で移動します。その後鉄道を使って、Churchgate駅まで移動します。Churchgate駅からフォート地区までは徒歩10分位です。空港に向かう際も、同じルートを利用すれば良いでしょう。

 

公共交通機関

ムンバイには電車と公共交通バスがあります。電車については、下記の

  • 郊外まで伸びる鉄道
  • ムンバイ市内を結ぶムンバイメトロ

の2つがあります。

まず、郊外まで伸びる鉄道です。実は私はこの鉄道は大好きでした。非常に快適だったからです。乗りやすく、便も多く、車内が広い。

どこの駅でもそうですが、チケットを購入します。自動券売機などはありません。駅内のどこかにあるチケットカウンターを見つけます。金額はめちゃくちゃ安いです。ムンバイ市内ならば、最長路線でも30円かからないくらいでしょう。

チケットは下記になります。インドの言葉で記載されていることと、印字が不鮮明なので何が書いてあるかよく分からないのですが、よく見ると、Munbai Central to Church Gate / Rs.5と記載がありますね。まあ記載してある内容は忘れてしまっても問題ありません。とりあえずチケットを買ったということを覚えておくくらいでも良いと思います。ちなみに10回くらい鉄道を利用したと思いますが、到着した駅を出る時に一度もチケットのチェックをされたことはありません。チケットを買わなくてもたぶん大丈夫です。ほとんどの人がチケットカウンターに並んでいないと思うので、ほとんどが無賃乗車だと思います。ですので、電車に乗るためにチケットを購入するのではなく、何かがあった時のための安心料として僕はチケットを買っていました。

電車のドアは閉じられません。常に開いています。駅に電車が到着するときにも、完全に電車が停止しているのは5秒くらいでしょうか。皆まだ完全に電車が止まっていない状体の時からジャンプして乗り降りします。そのため、鉄道の移動がスムーズで早いです。これも、私がこのムンバイの鉄道を気に入った理由の一つです。危ないといえば危ないのでしょうが、慣れれば問題ないと思います。電車が駅で完全に停車する時間が短いので、移動が早いこと。これは良かったです。

もうひとつの素晴らしい点が、車両の幅が広い。ムンバイの鉄道車輌は、一般的な電車の1.5倍の横幅があると思われます。そのため、電車内で混雑することがほとんどありませんでした。

ドアが開いているから、風が入ってきます。気持ちいいですよ。

このようにムンバイの鉄道はとても快適でした。しかし、駅構内で見られるこの靴磨きの光景にはいつまでたっても慣れませんでした。インドの文化なのですが、なんか敬意がなさすぎるような気がして。。

 

次は公共交通バスです。バスは安いのですが、ルートを把握するのはとても大変です。Moovitなどのアプリを使えば、何番のバスがどこにいくかどうかは分かります。ですが、ムンバイのバスに記載されている数字は、インド語で記載されているので、外国人にはわかりません。どのバスが何番かどうかはローカルの方に聞かないとわかりません。何度か乗りましたが、よほど主要の路線以外は、全然違う方向へ向かうバスに間違えて乗ってしまう可能性もあるので、少し難しいですね。

チケットは安い。しかし、料金も現地のインド語で記載されているので、全く読めない。

 

ホテル・宿(Backpacker Panda Colaba)

ムンバイの宿は、Backpacker Panda Colabaがオススメです。最初にAgodaで予約していた宿がBackpacker Panda Colabaでした。僕は旅行をするときは、最初の1日だけ予約をして、良ければ延泊・悪ければ宿を変えるということをしていますが、最初に予約をしたこの宿が良かったため、ムンバイではずっと延泊していました。個室もあるのですが、僕はドミトリーだけでした。しかしドミトリーも清潔です。トイレやお風呂も清潔です。ホットシャワーも問題ありません。Wifiも強いです。スタッフもフレンドリーです。あえて良くない点を言うとすれば、ゲストハウスの場所はフォート地区の南側の方に位置するので、最寄りの電車駅のChurchgate railway stationまで徒歩20分程度かかるということでしょうか。とはいえ、基本的にムンバイ旅行者はフォート地区を観光することが多いと思います。ですので、別の場所に観光に行く時は少し歩きますが、フォート地区にある宿というのはやはり便利であると思います。フォート地区は夜でも治安は問題ないですので、夜どこかに食べに行く事も気軽にできます。

自転車を借りることもできます。でもムンバイの街は自転車で移動するのはあまり適してないかな

場所も記載しておきましょう

 

まとめ

インド最大の都市ムンバイの旅行記を記載してきました。ちょっと長くなりましたが、観光地・移動方法・宿などについて記載できたと思います。ムンバイは南アジアの西端の都市ですので、中東との関わりも歴史的に多く、そのため多民族で多宗教都市です。航空便もアジアからヨーロッパまで世界中を網羅するような便が多いです。インドを旅する旅行者は、比較的長期間の旅行をする人が多いと思いますが、世界都市ムンバイは、最後の都市に相応しいメトロポリスでした。まだ先進的な都市とは言い難いのですが、どんどん進化していくでしょう。また、産業としても、インドはあらゆる技術を持っている国であり、自給自足できている大国であることも感じました。車・農業・IT・核技術まで広い分野の自国ブランド商品を持っています。21世紀の紛れも無い超大国であり続けるでしょう。また、イギリスが統治する以前のさまざまな帝国の歴史にも興味を持つことができました。あとは言葉ですね。サンスクリット語は世界中のさまざまな単語の基礎になっていると思われます。文化的には、ネパールやバングラデシュには親和性が高いですが、それ以外の国とはずいぶんかけ離れた文化を持っていると思います。だからこその魅力のあるインドであると思います。このムンバイは、最初に立ち寄るにしろ、最後に立ち寄るにしろ、あなたのインドの旅の拠点になることは間違いないでしょう。良い旅になることを願っています。インドの旅を良い思い出にするためには、ある意味賢く立ち回ることも多いでしょう。このブログがその役に立てばなによりです。

ではでは。



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