サバ州旅行 熱風タワウ編

ほぼ定刻の9:30に、飛行機はタワウ空港に降り立った。

飛行機から見えた景色は、一面が緑だった。山の緑色だけではなく、ときおり等間隔に整列された木も見える。パームオイルの木だ。ここマレーシアでは、パームオイルの実から取れる油を輸出することが一大産業だ。ここタワウのあるサバ州だけではなく、他の州もどこでも、国土の多くの場所にパームオイルが植えられ、農園ができている。一度植えれば、あとは果実が育つのを待つだけだ。育った実を収穫するのは、破れたシャツを身にまとい、汗を流しながら刺又を手に持つ外国人労働者だ。暑いなか厳しい労働を行うのは、ローカルマレーシア人ではない。周辺国のインドネシアやフィリピンから、低収入でかき集められている。大きく育ちすぎたパームオイルの木は、焼かれ、また新たに新しい木を植えられる。その繰り返しだ。このマレーシアの大地の数十%はパームオイルに利用されている。飛行機が降下中に、古波蔵祐(こばくらたすく)は、そんな事を考えていた。飛行機は70%くらい席が埋まっていた。Covid19によるパンデミックが始まって以降、自由に旅行をすることはできなくなった。飛行機に乗ることも簡単ではなくなった。米国ファイザー社がコロナワクチンを開発して以降、世界中でワクチン接種が始まった。他の製薬企業も、その波に乗り遅れまいとワクチン開発を勧めた。ワクチン接種した者のみが、飛行機に乗ることができる。佑もワクチン接種した一人だ。佑だけではない、この飛行機に乗っている他の乗客もそうだ。

タワウ空港は小さな空港だ。乗客は飛行機から降ろされ、歩いて空港に入る。中に入るとスタッフが、マレーシアのコロナ追跡アプリケーションMySejahteraをチェックしてワクチン接種済かどうかのチェックをしている。空港スタッフはパスポートをチェックしているのではない。ワクチン接種済みかどうかのほうが重要のようだ。ちなみにサバ州は連邦政府から独立した行政権を持っており、外国人やマレーシアの他の州に住む人々は、サバ州入国時には入国審査を受けるようになっている。入国審査場に着くと、乗客のほとんどはローカルマレーシア人であり、外国人は佑だけだった。そのため佑だけは、外国人専用レーンに並ぶことになった。外国人専用レーンに並んでいるのは佑だけであった。しかしそれは、かえって良かった。外国人専用レーンには、他の人が全然並んでいないため、列に並んで待つ必要がなかった。実はサバ州に入る時の入国審査は少し不安があった。なぜかというと、マレーシアでは州によって入国の基準を自由に変えることができる。そしてCovid19のパンデミック以降は、州によって全く異なる入国基準を持っていることがある。サバ州もそのひとつだ。サバ州はマレーシアの中では最も国境を開けるのが遅かった。先月まではマレーシアにずっと居住している外国人すらも入る事が許されなかった。(なぜかローカルマレーシア人の入国は許可されていた)しかし今月に入ってからマレーシアに住む外国人も入国を許可された。そして入国時にCovid検査は必要ないということに変わったという記事がでてきた。しかしそれが実際にそうなっているのかどうかは実際に来てみないと分からない。そのため、佑は事前にサバ州のツーリズムデスクに問い合わせをしていた。サバ州のツーリズムデスクに聞いたとおりに手続きを行っていれば、入国は問題ないはずだ。誰かが言っていたとか、新聞で記事を見たとかでははっきりしないが、サバ州のツーリズムデスクが言ったことに沿って行動をしていれば、例え問題が起きて入国拒否されても、戦える材料はある。ツーリズムデスクからの回答はたったひとつだった。サバ州のウェブサイトから、入国の申請をしてください。それだけだった。実際に入国審査は非常にスムーズだった。2,3分程度で終わった。全く問題なく入国ができた。やっとサバ州に入ることができた。そう感じた。実際にはおそらく業務としては、飛行機でクアラルンプールから出発する前にすでにチェックが行われていたと感じた。実際に入国時に問題がありそうであれば、飛ぶ前に拒否されていると思った。なぜならばAirAsiaの航空券は、スマートフォンのアプリ上に保存されていた。本来はわざわざカウンターで、航空券をプリントアウトする必要はなかった。しかし、空港のスタッフから、『サバ州の場合は、空港のカウンターの方でチェックをした上、あえてプリントアウトする必要がある』と言われた。その時はめんどうなものだ、と感じたが、おそらくその際にチェックをされてたんだと思われる。この乗客はワクチン接種済みであるかどうか?、サバ州入国可能であるかどうか?。どちらにせよずっと入りたかったサバ州タワウに、佑は入ることができた。入国審査を終えて、やっと入れたその空港は小さかった。荷物は小さなバックパックだけだ。佑は、数日だろうが数ヶ月だろうと、小さなバックパックだけで旅行をする。荷物受け取りにも並ばずに、すぐに空港の出口に向かった。いつものわくわくする瞬間が戻ってきた。ゲート出ればそこは、もうタワウだ。初めて来る場所。懐かしいこの感じ。パンデミック前はどれだけこの感覚を味わっただろう。2年近くこういう感覚が味わえなかった。懐かしい雰囲気だ。ゲート前には多くのタクシードライバーが旅人を待ち構えている。到着して家族と出会っている乗客もたくさんいた。

タワウ空港からタワウの街へは便数は少ないが、バスがあると聞いていた。しかし実際に来てみると、もうバスはなくなっていた。おそらくパンデミックの影響で、バスは運行を取りやめてしまったのだろう。観光客が来ないならば、しかたないだろう。空港周辺で何人かに聞いてみたが、やはりバスは無いようだった。佑はスマートフォンを手に取り、Grabアプリを開いた。タワウ空港からタワウの街まで約30キロ程度だ。ドライバーはすぐに見つかった。さぁ行こう。久々の旅が始まる。ドライバーは無口な男だった。空港から街まで、この田舎の風景を見ながら向かった。緑とパームオイル、その景色の中心には、道が一本だけある。それが目に入る景色だった。ドライバーは無口な男だったが、街に近づくにつれて話を始めた。少し前まで、サバ州の州都コタ・キナバルで働いてたようだ。そして故郷のタワウに戻ってきたが、賃金はもう本当にタワウは安くて、この街は本当に何もない。そう言っていた。話をしていて思ったが、あまり英語が上手ではなかった。このタワウはマレーシアの首都クアラルンプールから最も遠い場所にある街だ。

ホテルに着いた。Marco Polo Hotelと言う比較的大きなホテルで、地元では有名なホテルのようだ。確かにホテルの外観はなかなか良い。しかし、中はすごく古めかしかった。ホテルの部屋もソファーのカバーもベッドのシーツもいまいち余りきれいとは言えなかった。しかしホテルのスタッフはとてもホスピタリティがあってフレンドリーだった。チェックインを済ませ落ち着いた後、外に出た。明日の朝早く、サンダカンに旅立つので、バスチケットを買う必要があった。そのため、ホテルスタッフに事前に聞いていた、バスターミナルに向かった。小さなバスターミナルの周辺はすごくごみごみしていた。バスターミナルはまとまりがなく、どこに何があるかさっぱり分からなかった。受付場所も、看板もない以上、座っているドライバーらしき人に聞くしかない。タワウに来て気づいたが、多くの人は、マレーシア半島のように英語が堪能ではない。ドライバーらしき男も、そのうちの一人だった。

『明日の朝サンダカンに行きたいんだが、どこでチケットを買えるんだ?』

『マレー語は話せるか?』

『Satu Satu Dua Dua Jalan Jalan Makanだけだ』

佑もドライバーも両方困った。ドライバーは、ちょっと待ってくれとジェスチャーをし、知り合いに電話連絡をしてくれた。何がどれだけ伝わっているのか分からなかったが、まだ急がないといけない時間ではない。任せてみた。

『知り合いから直接連絡をさせるので、連絡先を教えてくれ』

佑は連絡先を交換した。

タワウの街は、ローカルマレーシア人と、インドネシアのスラウェシ島からやってくるBugisという民族が多く居住している街だ。そういえば、佑が昔スラウェシ島のマカッサルに行った時に、この島にはBugisという民族がいて、その民族はお金持ちが多いという話を聞いたことがあった。佑は、過去に聞いたことがある話の答え合わせをしているような気分だった。面白いのは街の商店の看板だ。マレー語では商店のことを、KEDAIと言うが、インドネシアでは商店のことを、TOKOという。ここはマレーシアなので本来はKEDAI○○という看板しかないはずだが、ここタワウにはTOKO○○やKEDAI○○と両方のお店があり、並んで立っている非常にユニークな光景が見えた。

しかしここは国境の街でもあって、フィリピンにも近い。結構多くの人がタバコを吸っていた。佑はタバコは吸わないが、旅に出ている時はたまにタバコを吸うことがある。小さな商店でタバコを一本だけ買う時に、近くにいるローカルマレーシア人かインドネシア人かどうか分からない男に聞いてみた。

『何のタバコを吸っているの?何か見た事ないタバコだね』

『あぁ、これはフィリピンのタバコだね』

なるほど、文化が混ざっているのだ、このタワウの街は。マレーシア、インドネシア、フィリピンの、それぞれの文化のいいとこ取りをしているのだ。タワウの街のすぐ近くに、Sebatik島というところがあるようだ。この旅の途中、佑は何人かにその島の名前を聞かれた。その島に渡れば、すぐにインドネシアの国境に行けるようだ。パンデミック前は、インドネシア人も普通にイミグレを通過せずに、船でタワウに入ったりしていたようだ。しかし、さすがにパンデミック中は、国境の警備隊が監視しているようでそれはできなくなっているようだ。つまり、不法入国は誰も気にしないが、コロナの蔓延は良くないということなのだろう。まぁ、別にそんな気にするような大きな話ではない。佑は少しお腹が減っていた。地元の人で賑わっている、少しおしゃれなお店に入ってみた。とはいえ、ぶらりと入っていったわけではない。佑は事前に食べたい店を調べている。計画的だ。家を設計をする時は、設計士は、2度木を切っていると聞いたことがある。一度目は設計時に、二度目は実際に木を切るときだ。それとよく似ている。佑もすでに、計画時に一度店を訪れている。インドネシアといえばアボガドジュースだ。昔何度もインドネシアを訪問した際に、インドネシアのアボガドジュースは安くて美味しいことを知っている。待てよ、ここはマレーシアだぞ、インドネシアではない。なぜ佑は、ここがインドネシアだと思っているのだ。

佑がタワウにきた理由の1つとして、このタワウは数百人の日本人が約100年ぐらい前に住んでいたこともある。戦前の日本の資本家がタワウにやってきて、ゴムの農園などを開拓していた。その資本家が出資した農園で働くローカルの人が、当時たくさんいた。その時の名残がこのタワウには通りの名前として残っている。その1つが街の中心を貫く大きな通りの1つ、Jalan Kuharaだ。現在はもう名前しか残っていないだが、ローカルの人は日本人の名前だということを知っていた。佑は看板以外に何もないことが分かっていても、その通りを見てみたかった。タクシーを使うには短すぎた。佑は歩くことを選んだ。Jalan Kuharaの次はJalan Dr Yamamotoだ。これは農園で働く医師の名前が山本だったようだ。おそらく農園で働いていた昔の人達が何か病気があった時に山本に会いに行こう!そうなっていたようだ。

次は、Jalan Nissan Nourinだ。日産自動車の母体となる会社の一つがここにあったようだ。ゴム農林を経営していたらしい。そして最後の一つは、Jalan Kubota。ここは非常に大きかった。通りの名前だけでなく、若い人で賑わう広場そのものにKubotaの名前が付けられていた。Kubota Squareだ。Kubota Sentralもあった。今風のおしゃれなカフェやレストランがあったり、オフィスタワーもあった。紛れもなく、ここはタワウの中心地であった。

佑も、これはさすがにびっくりした。100年も前にこの地に日本人がいて、その歴史は未だに残っていた。名前だけだけども。

WhatsAppに、見知らぬ番号から連絡が入っていた。Weiganと名乗る男だった。マレー語のメッセージが届いていた。あのバスのドライバーの件だろう。佑は英語で返したが、数分後、こう返信が届いた。

『英語が分からないので、マレー語で頼む』

佑が翻訳して、返信をする。すぐにマレー語で返信が届いた。

『サンダカンまでのチャーターが可能だ。私は信頼できるドライバーだ。片道450RMでどうだ』

佑は呆れと怒りが混じった感情に囚われ、メッセージを見た瞬間に返信した。

『40』

もうこの話は終わった。バスのチケットを買いたかったのに、なぜチャーターの話になっているのか?騙す気が満々なのに、なぜ英語で対応しないのか?最も大きな問題は、佑はバスでサンダカンまでの金額は40RM前後であることをあらかじめ知っていたことだ。次の街のサンダカンでは、友達が待っていてくれている。この件を連絡してみた。彼女は一言。

『そんなの変なの買っちゃダメよ』

佑はシーフードを食べに行った。タワウのシーフードは絶品だと聞いていたからだ。確かに美味しかった。シーフードを楽しんだ後は、夕日を見に行きたかった。海が見える場所には、いつだって人が集まる。アジアの街はどこでも、特に海沿いにある街は、夕方になって涼しくなってくると海沿いに人々が集まってくる。いつもの光景だ。夕日が落ちて行く。

このマレーシアの東の果てで。海沿いの近くの広場では、大きなナイトマーケットがやっていた。人々が道路にたくさんテーブルや椅子が並べられている。広場に多くの屋台が美味しそうな料理を作っていた。

佑は夢中で写真を撮っていた。そこへ、いきなり後ろから

『待て。何をしてる?何を写真を撮っているんだ?』

と後ろから問い詰められた。ん?何か悪いことをしたかな?

『楽しそうな雰囲気だったから、写真を撮ってたんだ』

どうやらそのおじさんは、屋台をやっている様で、普通はローカルの人は屋台やナイトマーケットの写真等撮らないから、この人は一体なんだろう?と言うことで聞いてきたらしい。立ちながらいろいろ話をしていた。英語も話せる。話ができそうな感じだったから、佑は気になっていたことをおじさんに聞いてみた。

『ここタワウは、マレーシアの首都クアラルンプールから最も遠い場所だ。基本的に全ての情報は首都から来る。流行りのレストラン、流行りのカフェ、新しいショッピングモール、政治のニュース……。だがここは最も遠い場所だ。何かそれについて思うこととかありますか』

もしかしたらこのおじさんは。佑のことを面白い奴だと思ったのかもしれない。おじさんは、

『よし一緒にテーブルで飲もう』

っていうことでテーブルで一緒にご飯を食べることになった。2時間ぐらい話をしていただろうか。屋台でギターを引いてお金を稼いでいる二人組の男達、大学生だけど屋台も所有している若い人、おじさんの友達も交えて。おじさんの名前はJohan。

『タワウのサテーはマレーシア一美味しいんだ。食べてみてくれ』

『あぁ、なるほど。すごく興味があるね。僕はカジャンのサテーも食べているからね。』

『正直な意見を教えてくれ。』

タワウのサテーも、ソースはピーナッツソースだった。が、甘さがあまりなかった。同じピーナッツソースでも、カジャンのピーナッツソースは結構甘い。甘い味のほうが好きなので、佑の好みではなかった。

『うーん、カジャンの方がソースが甘くて美味いね。あくまで僕の好みの問題だけども』

あっさり答えたが、Johanは特に気にすることもなかった。それからもいろいろ話しをしていた。

『そういえば、さっきバスのドライバーのような男から連絡があったんだ。チャーターで450RMでサンダカン?これは高いのか?』

『高いね。チャーターで250RMが普通だ』

タワウは、マレーシアの文化とすぐ隣にあるインドネシアの文化が大きく混じりあった場所だ。タワウの人はマレーシア人であっても、インドネシア語のほうをよく使うようだ。他のサバ州の街は、基本的にはマレー語を使うが、タワウだけはインドネシア語を使う。具体的にはサバ州の人は基本的には、ご飯が美味しい場合はマレー語でSedapと言うのだが、タワウの人だけは、インドネシア語のEnakを使う。なかなか面白い。

Johanと話をしていると、ギターを持った二人組の男たちが近くの席に来てくれた。特に頼みはしないのだが、Johanが『なにか歌を歌ってくれ、彼はOrang Jepunだ』とせかす。彼らは日本語の曲を歌ってくれた。意外なほど上手かった。基本は10RM程度あげるだけで十分だった。しかし、Johanの声は大きい。日本から来ている男がここにいるということは、周辺の人も理解していた。佑は日本語の歌を歌ってくれた彼らに、50RM支払った。見栄を張っただけだったが、50RMは実際に彼らのパフォーマンスに感動した部分もあった。

Johanは昔マレーシア航空で働いていて、今では仕事を辞めて故郷のタワウに戻ってきて、奥さんと屋台をしている。屋台をする前は観光客の相手をするようなツアーの商売をしていたようだ。何かあったらまた連絡をしてほしいということでWhatsAppを交換した。少し前にペナンに住んでるオーストラリア人がこっちに来て、一緒にご飯を食べてたんだと言ってた。国内旅行だけとはいえ、少しずつ観光業も動いてきている。いろいろ話をして夜8時ぐらいになった。Johanはサテーとドリンクをおごってくれた。2時間ぐらい話をしていたが、佑は宿に戻ることにした。Johanは最後に言った。

『このタワウの街は夜7時を過ぎちゃったら街の灯りはほとんどなくなっちゃうから、早く帰ってゆっくりした方がいいよ』

そうか。人がたくさんいるのはこの屋台街あたりだけなのだ。そのままホテルに戻るのは少しもったいない気がしたので、歩いてぶらぶらしてからホテルに帰ることにした。確かに人は少ないけども、まあ若干カフェや商店はちょこちょこ空いているし、車も走っている。危険な雰囲気はなかった。強いて言えば、野良犬だった。しかし夜のタワウの街は、国境の街らしい混沌とした俗なる雰囲気は残されていた。佑は疲れていたし、飛行機は朝早い便だったから、もう帰って寝ることにした。しかし、飲料水くらいは買って帰りたかった。近くのSewayというローカルスーパーに寄った。ずっと来てみたかった東の果てタワウ。ようやく来ることができた。確かに田舎だ。何もなかった。だが、文化の違い、そして歴史、Johanの楽しい話、いろんなものを見つけることができた。とりあえず今日は寝よう。ちょっと汚れが目立つあまりきれいとはいえないホテルだけどかまわない。インターネットも弱い。部屋の明かりも少し暗い。気になる点は多々あったが、部屋の明かりが暗いことが、見えなくても良いものを隠してくれた。佑は目覚ましをセットして、眠りについた。


この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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