マレーシアの租税回避地 ラブアン島観光

さて、ラブアンという島に行ってきました。旧日本軍占領時代は、『前田島』と島の名前を変えさせられていた場所です。ボルネオ島に浮かぶ小さな島ですが、現在ではダイビングで沈没船を見れるところであるとか、お金持ちの人が節税のためにオフショア口座を作るタックスヘイブン島としても有名です。昔はブルネイ王国の一部でもあったことと、ブルネイとも距離が近いので、現地ローカルからすると、自分たちはマレーシアよりもブルネイに親近感を覚えているとも多いかもしれません。実際にボルネオ島の人びとは、マレーシアから独立したい!とか、マレーシア国内に住んでいるにも関わらず、『私達はマレーシア人ではない。サバ人です』とはっきり言う人もいます。マレーシア人の人からすると、『ラブアン何もない』という人も多いですが、日本人からすると、戦争の歴史もあり、比較的見るべきものは多いのではないかと思います。

 

 

 




 

ラブアン島とは

ブルネイから船で1時間くらいの小さな島です。サバ州のコタキナバルからは4時間くらいバスで移動してフェリー乗り場に行きます。そこから船で移動します。

 

夜着

クアラルンプールからラブアン島までの飛行機は夜に到着しました。約2時間30分のフライトでした。個人的には初めて租税回避のタックスヘイブン島に入ったなあと感じていました。飛行機の中は、マレーシアローカルの人が多かったです。まああまり外国人でラブアンに来る人はいませんよね。オフショア口座を作るという節税目的のお金持ちでない限りは。ちなみに、ボルネオ島に入島する時は、マレーシア人であっても一度入国審査を受ける必要があります。(サラワク人の人がサラワクに入島する際は必要無い。同じように、サバ人の人がサバに入島する際は必要無い。)なので、ちょっと不思議なのですが、マレーシア国内からマレーシア国内に移動しているだけなのに入国審査をする必要があります。ただしラブアン島は、正確にはサラワク州・サバ州に帰属するのではなく、クアラルンプールと同じ扱いのはずなので、僕は入島審査は不要と思っていました。ですが、審査に並ぶ必要がありました。

空港内に看板がありました。

Working around the clock under arduous conditions and in spite of infiltration by the Japanese there squadrons in 6 days reconstructed the heavily damaged Labuan Airfield to a stage where it could be used by R.A.A.F.

『オーストラリア空軍よ、日本軍にめちゃめちゃに破壊されたラブアン空港を再建してくれてありがとう』ということが記載されています。

 

夜のラブアン空港。あまり大きい空港ではありません。さて、バスなどは見つかりませんでしたが、Grabで市内に移動しても安かったので、そのまま今回泊まるホテルへ移動します。

KL HOTEL

特に高いホテルではなかったですが、住みごこちは上々。余談ですが、僕は基本的にバックパッカースタイルで旅行をするのでゲストハウスのドミトリーでも良いのですが、田舎に行くとゲストハウスがありません。そういう場合は、通常のホテルに泊まりますが、狭いシングルベッドが嫌いなので、だいだいダブル以上を選んでいます。

特に治安の悪さは感じないことと、ご飯が食べたかったので、夜のラブアン市内をぶらぶら歩きます。ラブアンに来る前に、食べたいレストランもある程度決めていましたが、遅い時間のため既に閉まっていました。

というか、僕の予約したホテル周辺は、カラオケバーがすごく多いですね。

免税島のお酒の価格はどれくらいかな?と興味があったので、カラオケバーに入ってみる。

おっさんが多いですな。普段お酒を全く飲まないので分からないのですが、クアラルンプールなどに比べると、お酒の値段が少し安いかなと思います。

さて、初日はそのまま就寝。翌朝、町歩きをしてみました。

ラブアン市内。市内中心部はお店も多いですが、歩いて回れる範囲です。ちょっと市内から外に出ると、お店もなくなって森ばかりになってしまいます。

[今のラブアン市街の一帯は、島で最も早く人が住み始めた地域です。その地帯は、当事英国海軍の士官のあいだでブレーンと呼ばれていました。ブレーンに作られた最初の建物は、1847年に建てられた衛兵詰所でした……商人たちが来て、ニシバヤシの屋根の焦点が立ち始めました。1848年の火災で、これらの商店が焼かれ、以後イギリス行政部は商店の建築にニシバヤシの使用を禁止しました。1849年、ブルネイのケダヤン人社会からの集団移住が始まりました。彼らはラブアン市街地の外れに居住し、主に米とヤシを栽培しました]

ラブアン市場。

ストリートアート。

さて、ラブアンといえば免税の島です。通常外国で免税品を買うときは、空港かもしくは大きな免税ショッピングモールで購入することが多いですよね。しかしラブアンの場合は島全体が免税という扱いからなのか、どこでも免税で安く購入することができます。(例えばタバコを買う際は、免税店で購入しても、コンビニで買っても、同じように税金がかかっていません)とはいえ、フェリーターミナル周辺にはいくつかの免税の看板を掲げるお店があります。それらは個人商店のような小さなお店が多いです。

 

 

免税店

見たところ一番大きかった免税店。店内は写真が禁止のようですので、写真はありません。

個人商店のような大きさの免税店。

日本のお酒もある。

ビールも山積み。

驚きだったのが、タバコの安さですね。もちろん、マルボロなどの有名ブランドはそこそこの値段がするのですが、ローカル生産やインドネシア生産の聞いたことのないタバコもあるのでやすいタバコはとことん安いです。下のTEXというタバコは1カートンで15.5RMですね。日本円にして約411円です。一箱あたり40円ということですね。いかに免税とはいえ、すごい価格ですね。逆に言えば、一箱あたりの費用が40円かからないということでしょう。販売手数料をどれだけとっているかは知りませんが、生産コストを想像すると、20円程度でしょうか。葉っぱの生産、はこの価格などを計算してもそんなに安いんですね。ちなみに、お店の人に聞いたところ、このTEXというブランドのタバコは、インドネシアで生産されて、コタキナバルとラブアンでしか販売されていないものとのことです。インドネシアといえども、ジャワ島などで生産していたら船の輸送費用がかかりますので、生産地はカリマンタン島しか考えられませんね。カリマンタン島で安く生産しているのでしょう。


 




 
 

 

フェリー乗り場

ブルネイ行きは当然出国審査が必要です。免税店が並んでいます。


 

 

Labuan Square(ラブアン広場)

少し歩いたところにラブアン広場があります。平日のお昼だからか、人は殆ど居ません。

写真の奥に見える大きな建物が、ラブアンのシンボルの一つ、租税回避地のためのフィナンシャルタワーです。

 

 

Labuan Museum(ラブアン博物館)

ラブアンの博物館です。そんなに大きくはないですが、ラブアンの文化に関わらず、大日本帝国軍の占領時代のことが詳しく記載されています。

ボルネオ島の司令官であった前田中将が飛行機事故によりビントゥルで亡くなったことを紀念して、当時ラブアンを通過した東条英機が前田島にするように指示を出した……と記載がある。

 

 

Labuan IBFC(ラブアンオフショア金融センター)

ここがラブアンを租税回避地として有名にしている場所。おそらく日本のYoutuberやブログなどでお金を稼いでいる人は、多くの人がこちらにオフショア口座を作って節税をしているでしょう。Youtuberに限らず、投資家や会社経営者などのそれなりの収入がある人はここでオフショア口座を作っても良いでしょう。マレーシアの人は意外とラブアンオフショア口座のことを知らない人が多いです。知っている人なら、『ラブアンでオフショア口座を作る人というのはお金持ち』のイメージがあります。マレーシア国内にある租税回避地ですので、マレーシアの国内通貨リンギットでお金を稼いでいる場合はこの口座は作れません。外国の通貨でお金を稼いでいる人が対象です。日本の法人税率は約30%ですが、ラブアンで法人口座を作った際の法人税率は3%です。日本で稼いだ日本円をラブアン法人の口座に移せば、27%程度の節税ができます。自分の分かる範囲で、かなり大雑把に記載しています。まあラブアン法人口座に関わらず、お金を持っている人はいくらでも節税の方法はあるのでしょう。

ちなみに僕がラブアンに来た理由は観光でした。そのため、せっかくラブアンに来たのに、ラブアンオフショア口座を作るために来たわけではなかった……というのは少し寂しい気がしますね。また、外国人がラブアンに口座作る理由は節税の為ですが、ラブアンのローカルからすると『外国人がラブアンに投資をしてくれるからラブアンの経済が成り立っている』と言います。節税が目的なのに、ローカルからは投資と思われているのは、少し面白いですね。

ゆっくりとした時間が流れるラブアンの田舎ですが、フィナンシャルパーク内はビジネスマンが闊歩します。なぜタックスヘイブン島ができるかというのは、産業が無い島に外国からお金を集めるためにはどうするか?と考えた結果なんですね。


 
 




 

 

An’Nur Jamek Mosque

美しい形のモスク。

 

 

Labuan Marine Museum(ラブアン海洋博物館)

ちょっとした水族館。無料です。

すぐ近くにラムゼイポイントという場所があります。ブルネイの王様が、ラブアンの支配権をイギリスに引き渡した場所ですが、大日本帝国軍の支配からラブアンを取り戻すために、アメリカ連合軍のマッカーサーが上陸した場所もここでした。日本の人にとってマッカーサーは、太平洋戦争で戦い、戦後は日本を統治した総司令官というイメージで終わってしまうのかもしれませんが、東南アジアにおいては、鬼畜日本軍を追い払った英雄という見方が多いと思われます。

ラムゼイポイントからは、多くの石油掘削線が見えます。


 

 

Botanical Garden(ラブアン植物園) – 日本人墓地

あまり大きな植物園ではないです。なぜここに来たかというと、植物園の奥に日本人墓地があるからです。しかし荒れ果てていて、墓石も崩れています。


 

 

World War II Memorial Labuan War Cemetery(ラブアン戦没者墓地)

ボルネオ島で大日本帝国軍と戦って亡くなった連合軍兵士の墓です。主にイギリス人とオーストラリア人です。

こういう場所に来るのは不思議な感じがします。当時の敵軍の日本人が見にくるわけですので。まあ別に日本人が来たからといって、ローカルは気にもしませんが。

なお、管理はCWGC、コモンウェルス戦争墓地委員会が管理しています。イギリス連邦加盟国の墓地管理を行っているイギリスにある組織です。意外にも、日本の横浜市にも英連邦戦死者墓地がある様子。

 

 

Patau-patau Water Village(水上集落)

ラブアン市街から車で10分くらいの所に、水上集落があります。ちょっと歩いて見て回るくらいなものかな。


 
 




 

 

Chimney Museum

チムニー博物館。ラブアンのシンボルの煙突の博物館です。場所がかなり遠いです。ラブアン市内からバスで、安く簡単に来ることができますが、帰りが難しいです。島を一周するバスを待つか?もしくは最初からタクシーに帰りの便を伝えておく方が良いです。

 

写真で見るよりも、実物を見る方がかなり立派な煙突です。

 

 

Surrender Point(日本軍降伏地点)

日本軍が連合軍に正式に降伏した場所です。敷地は特に広くはなく、モニュメントと石碑があるだけです。

1945年9月10日、オーストラリア帝国軍が、日本軍から正式に降伏文書を受け取った場所です。

1941年の日本軍の真珠湾攻撃から、日本軍は東南アジア全域を支配した。1942年1月1日、イギリスの占領地であったラブアンは日本軍の手に落ち、前田島と改名された。ラブアンには2つの戦争捕虜収容所があり、多くのイギリス人が、ボルネオ島のサンダカンやクチンからのラブアンに移送された。その際に戦争捕虜はマラリアや餓死などで多くがなくなった。
サンダカンからラナウの死の行進中に亡くなったオーストラリア軍人の墓などは、ボルネオ全土からラブアンの墓地に移転された。

 

 

Layang-layang Beach

サレンダーポイントのすぐ横にあるビーチ。

 

 

Peace Park(ラブアン平和公園)

サレンダーポイントから歩いてすぐの場所にあります。公園の真ん中には大きな石碑があります。

『ボルネオ戦没者の碑。さきの大戦において、ボルネオ地域およびその周辺海域で戦没した人びとを忍び、平和への思いをこめてこの碑を建立する』と記載がある。日本の作る碑についていつも疑問なのは、主語がないということですね。誰がその大戦を起こした原因だったのか?が無く、いつも抽象的なもので終わります。この責任を回避するのが日本の特徴です。

[このラブアン建設にあたっては、マレイシア国政府、サバ州政府、ラブアン市及び日本政府の協力と、特に財団法人日本船舶振興会(会長 笹川良一)から多大の補助金の交付を受け、また遺族関係団体、戦友関係団体、企業などからも各別の援助を得て完成したものである ]と記載がある。

 

 

Mortar Cafe Lounge

ラブアンのレストランでいくつか食事をしました。どこも美味しかったのですが、旅の最後にここのレストランに寄った時に、『あ、ラブアンでご飯を食べる時は、毎回ここのレストランをっ利用していればよかったかな』と思いました。なぜなら、おしゃれ・美味い・そんなに高くはないの全てを満たしていたからです。またメニューが非常に豊富で、ローカルフードから西洋料理まで幅広かったので、さまざまな料理を試していても良かったなと思いました。ラブアンでご飯を食べるなら、ここはオススメです。

カレーチキンご飯。

マンゴーアイス。


 

 

まとめ

ラブアンに2泊3日滞在しました。ラブアンはオフショア口座を作って節税をする!というのが一番達成感や人生の変化がありそうですが、お金持ちの人しかできないですね。ですが、おいしい食事や戦争の歴史を見たいということであれば、誰でも可能です。ダイビングという選択肢は僕にはなかったですが、ダイビングにも興味があるならば、もっとラブアンを楽しめることができるでしょう。

ではでは。




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