コックスバザールでロヒンギャ難民キャンプを訪問

 

この記事には、バングラデシュの南にあるコックスバザールについて記載しています。

観光地としても名高いのですが、現在はロヒンギャ難民キャンプがあるため、コックスバザールを訪れる外国人は、ロヒンギャを訪れる方が多いです。

私も訪問してみました。

バングラデシュは現在、日本の外務省の安全情報ではレベル2の入国制限がかかっているため、ブログにするのは迷いましたが、この記事を読んでロヒンギャ問題に興味を持つ方が増えるきっかけになればよいと考えています。

 

 




 

ロヒンギャ難民キャンプを訪問

 

 

コックスバザールには朝の早い時間に着いた。

首都ダッカを夜の21:30に出発して約9時間。コックスバザールに着いたときは、この旅初めての雨だった。バスから降りる。

バスから降りたローカルが、友達や家族に迎えられる中、僕は一人コックスバザールのロータリーを見ていた。

すると、WHO, UNICEFなどの国連組織のジープがどんどん目の前を通過していく。

 

 

その光景を見ながら、「俺はとんでもないところに来ちゃったんじゃないか?」とか、「ここで一体何が起こっているんだ?」とか思っていた。

 

現地のバングラデシュ人が複数でワイワイと楽しそうにしながら、走って海岸を目指している。

 

そう、コックスバザールは観光地なのだ。

世界最長の120kmにも及ぶ海岸があり、みんな楽しそうに泳いでいる。観光資源に比較的乏しいバングラデシュの中では、有数の観光地なのだろう。

 

しかし、海外旅行に慣れていて、フィリピンのボラカイやインドネシアのバリ島などの美しいビーチを知っている外国人からすると、とてもじゃないが魅力的な観光地とは言えません。海があまりキレイではない。

なので、世界最長の海岸ビーチといえども、外国人は観光に来ません。

そのため、首都ダッカでバングラデシュ人に、「このあとコックスバザールに行く予定です」というと、「あぁロヒンギャ見に行くんだね」とあっさり言われます。

バレてました。

 

バングラデシュ人は、外国人がコックスバザールに行くならロヒンギャという認識があります。

 

 

そう、コックスバザールは、ロヒンギャに対する支援を行う外国人が集まる拠点の場所だった。

コックスバザールには2日滞在し、2日ほどロヒンギャ難民キャンプを見に行った。

 

1日目は、ミャンマー国境付近のテクナフ周辺のキャンプ。

2日目は、通称メガキャンプと呼ばれる、クトゥパロンというエリアにあるロヒンギャ難民キャンプである。

 

なお、今回の難民キャンプ訪問は、東京の大学教授の方の研究についていくことで実現したものです。

このキャンプ訪問を通じて、多くのことを知りましたが、なかでもバングラデシュの現地ローカルの協力・バングラデシュ政府のロヒンギャ対応の熱心さには驚きました。

難民支援をすれば、国連からお金は入るのですが、バングラデシュ側も難民を受け入れるということは本意ではない(今でも対外的にはそのような名目ではない)にも関わらず、目の前で人が亡くなっている事を黙って見てはいられないというバングラデシュの人の優しさがあるのだと思います。

 

さて、初日早速、難民キャンプへと向かう。

向かう途中に、Unicefのカバンを背負った男性がいます。ユニセフは、難民の子供たちのために、カバンやその他教育に関わるものなどを配ったりしています。ではこの男性はロヒンギャであるか?というとそうではないようです。ロヒンギャの子供たちはユニセフからカバンをもらいますが、お金がないために、それらのカバンは現地ローカルのバングラデシュ人に売ってしまうとのことです。なのでコックスバザール周辺には、ユニセフのカバンを持った子供たちが多くいますが、その子供たちの多くはロヒンギャではなく、ローカルの子供たちとのことです。

 

コックスバザールから南に下るにつれ、たくさんのキャンプを通り過ぎて行きます。今回は専属のタクシー運転手がいました。彼らはローカル現地人です。ロヒンギャが来ていることで、タクシーの仕事が増えてお金を稼ぐ手立てができています。

単に難民を受け入れるだけでは現地のローカルに不満がたまりますが、仕事が増えるのであれば受け入れようという心理も働きます。

 

レダ地区というエリアに入りました。

欧米の支援団体の看板でしょう。キャンプ内の施設はこのように把握されているのですね。家の数、部屋の数、難民の人口、あとは生活の上でもっとも重要な水の供給ですね。

あとは人が住む以上は下水の整備も必要です。

 

日本の支援団体も数多く活動しているようです。

キャンプ内に入りました。

 

UNHCRの看板が見えます。

UNHCRは難民のための国連団体ですが、今までずっとバングラデシュ政府に入らせてくれと言っていたのですが、ずっと拒否されていたとのこと。最近やっと入れるようになったようです。その理由としては、UNHCRは難民のための団体ですので、UNHCRを受け入れると、バングラデシュとしては公式に難民を受け入れたと対外的に認めることになってしまうからとのことです。あくまで一時的に・・というのがバングラデシュ政府の方針です。公式に認めるということになると、国連から一定の生活レベルの保持を義務付けられますし、現地バングラデシュ人としても複雑な心境になるでしょう。なのであくまで一時的に・・というのが対外的なスタンスです。

 

難民の方で、キャンプ内でお店をやられている方にインタビュー。ロヒンギャ語は分からない。

取扱いの商品にはミャンマーのお菓子もあります。公式なルートで仕入れているとのこと。

 

なお、難民キャンプ内は基本的に治安の悪さなどはありません。

キャンプに入る上での注意点も特にはないのですが、キャンプ内の女性と二人きりになるようなことはあまり良くないとのこと。

子供たちは天真爛漫なので、僕はもっぱら子供たちと遊んでいました。

ただし一つ言えることは、ニュースによると、外部の人間がキャンプ内に入って難民の子供をさらっていくような事があったりしたようです。

ですので、遊ぶけどあんまり度が過ぎないようにはしていました。

 

キャンプ内には水路もできています。煉瓦にコンクリートが使われています。コンクリートが使われているということは、名目的には一時的でも、半永久的に永住するという道も見えてきます。

 

実は名目上は一時的保護であっても、既に各キャンプの中では鉄筋コンクリート構造物があるところもあるようなのですね。

また、キャンプ内では、ロヒンギャの子供たちのために教育が行われていた。こういう教室はちょこちょこあるようで、子供たちは将来のための勉強もできる。

何を勉強していたか?

 

英語とバングラデシュ語です。

 

 

初日はここで終了。

ミャンマーとの国境に近い村 テクナフまで移動。

移動の途中に、川が見えてきた。

ナフ川だ。

この川の向こうはミャンマーなのだ。

そして、あの山の麓には、彼らロヒンギャの村がある。

自国のミャンマー軍が、ただ平和に住んでいる村にやってきて、女性は家族の前でレイプされ、親兄弟は虐殺され、住んでいる村は軍隊に焼き払われる。

そんな状況だからこそ、死ぬ思いで難民となってバングラデシュに逃げてきている。

 

夜な夜な川を渡り、小舟に乗り、海に出る。

なぜこのようなことが起きるのだろうか。

 

 

ロヒンギャ難民は、キャンプ外に出ても良いらしい。なので、見かけだけでは、現地ローカルもロヒンギャ難民も区別がつかない。

 

 

ゼロポイント。

バングラデシュの最南端。

まさかこんなところまで来るとはなあ。

 

夜はコックスバザールの街に戻った。

大半の支援者はコックスバザールに滞在する。外部者は夕方17:00以降は難民キャンプ内に滞在してはいけない事になっている。バングラデシュ国軍の警備隊はしっかり仕事をしているようだ

 

コックスバザールは観光地だ。

 

大きくはないが、賑やかだ。

僕は疲れていたので、きれいなレストランで食事をすることにした。

 

僕の隣の席には、国連組織のベストを来ている人たちが座っていた。

国連組織のベストを来て難民を支援して、夜はおしゃれなレストランで楽しく食事。

少しだけ考えた。だが、いや、なにも否定はしない。

難民を支援しているだけで良く、生活レベルまで合わせる必要はないのだ。

 

 

2日目は食糧をどうやって難民の人に配っているかを見学。

これもいろいろ難しいもので、食糧が平等に行き渡るようにしないと不平不満が起きる。また配給所から遠いと、自分の家まで持ち帰るのに苦労して、もういいやってことで他の人に食糧を売ってしまうことになる。女性だと重いものは持てない。なので、ロヒンギャの人を雇って、賃金を渡し、いろいろ平等にできるように工夫しているとのこと。なかなか大変だなあ。

 

最後はメガキャンプと呼ばれる巨大難民キャンプ。100万人を越える難民がいるとのことだが、正確な数字は誰もわからない。

もう、すごかった。

 

橋があった。そこには、From the people of Japanという看板があった

 

 

この規模の住民を帰還させるというのは、無理だろうなあ

 

ロヒンギャ難民のおっちゃんが、小さな飲食店を出していた。お菓子やドリンクを買うことで、彼の足しに少しでもなれば良い。ちなみに店を出しているからといって、場代みたいなものを払う必要は今のところは無いらしい。

まさか難民キャンプ内で飯を食うような経験をするとは思わなかったなあ。でも意外と美味かった。

このメガキャンプは果てしなく続く。

 

家の屋根にはソーラーがある。電話用だろうとのこと。まだミャンマーには家族や親戚がいたりする。連絡をとりあう事は必須。

難民キャンプの場所によっては、ミャンマーの電波が通じるらしいし、ミャンマーのラジオも聞こえてくるらしい。

なので、難民キャンプの人たちからすると、ミャンマー国内のあらゆる情報は全て筒抜けである。

だから、帰りたがらない。

全て分かっているから。

 

工事の人がいますね。

ちゃくちゃくと居住区として最低限な暮らしができるように進んでいるようにみえます。

 

 

こんな状況でも明るい子供たち。

彼らが少しでも良い未来を見れるようになってくれればいいのだけれど。

 

 

ロヒンギャ難民に関しての事実は、大方テレビや新聞で報道されているとおりだと感じました。

アメリカやイギリスで起こっているような事件ならば、報道をねじ曲げて歪曲して世界に伝えることもできるのでしょうが、ミャンマーにはそういう力はないのでしょう。

起きていることがそのまま世界中に知られています。

 

ロヒンギャ難民が直面している悲劇や不幸に関しては、あまりにも大きすぎているので、日本人の僕には想像しにくい面があります。

かといって、日本国内で何らかの原因で悩んで辛いと思っている人たちに、「もっと辛い目に合っている人が世の中にはいるんだよ」みたいなのも少し違うと思います。

苦しいのは人それぞれなので。

 

余談ですが、バングラデシュ政府はなぜかロヒンギャ難民に対して、パスポートを発行しているようです。なので、ロヒンギャの人たちはそのパスポートを使って、結構海外に出稼ぎに行っているという話を聞きました。マレーシアは結構人気の国みたいです。ということは、もしかしたら、マレーシアで働くバングラデシュ人の中に、ロヒンギャの方がこっそりと混じっている可能性もありますね。ベンガル語とロヒンギャ語は近いらしく、ちょっと勉強すればなんとかなるらしいので。ちょっとした小話でした。

 

この記事を読んで、少しでもロヒンギャ問題について考えたりするきっかけになれば幸いです。

 

 

 

 

コックスバザール基本情報

 

どこにあるの?場所・地図

 

コックスバザールはバングラデシュの南、ほぼミャンマーとの国境近くになります。

コックスバザールから南に移動しすると、ミャンマーとの国境側を見ると、ナフ川があります。その川の向こうはもうミャンマーです。

 

どんな街?概要

 

コックスバザールは1400年代から1700年代にかけて、アラカン王国が支配していた。アラカン王国は、現在のバングラデシュのチッタゴンから、ラヵイン州にかけての広い範囲を統治していた。

が、その後、ビルマとイギリスの植民地支配を受けることになる。

バングラデシュはイギリス領インドから1948年に独立するが、ビルマとバングラデシュの国境はずっと不明瞭なままであった。そのため、バングラデシュ人もラカイン人もロヒンギャも両国を自由に行き来していた。

そのため、コックスバザールには、昔から住んでいるミャンマー仏教徒も暮らしており、ミャンマーの市場も残っている。

現在では国境線は確定しているが、上記の歴史からも、ミャンマーのラカイン州に住むロヒンギャは、ヤンゴンなどのミャンマー人からすると、「あいつらはミャンマー人じゃない」と言われる理由の一つになっている。

 

 

コックスバザールの観光お勧めスポット

 

世界最長のビーチ

これに尽きる。海はさほど綺麗ではない。

 

ビーチよりも砂浜が非常に広いので、車が普通に走る。そのため、ワイルドな浜辺走行が楽しめる。

 

ブルミセマーケット

 

 

 

コックスバザールへの行き方・アクセス

 

飛行機で行くか、バスで行くかです。

飛行機なら1時間くらいですが、バスなら8時間〜13時間くらいの間でつきます。

なぜこんなに差があるかというと、バングラデシュは交通渋滞がすごいために、動かないときは1時間で数キロも進まないということがあります。

 

バスならGREEN LINEをお勧めします。

快適なラウンジもあります。

 

 

 

 

 

 

まとめ

 

コックスバザールは観光地ですが、外国人が来て楽しめるほどの観光地ではありません。

観光地としていくならば、まだチッタゴンを見る程度にしておくくらいの方がいいのかもしれません。



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