ペナンと戦争

さて、ペナンに行ってきました(^o^)   僕はペナンは5年前に来たことがあったのですが、基本的にマレーシアは、住むのにはよいが、旅行者にとっては退屈な国であったような気がするので、1泊2日だけでさっさと立ち去ってしまったのです。   そのときに、主要な観光地は行ったのですが、最も観光客が楽しみにしてそうなアルメニアンストリートは飛ばすは、ぶっちゃけあまり満喫してなかった気がしますな。   でも生活はしやすい場所だと感じていました。   5年ぶりにChuliaストリートに来ましたが、当時よりも賑やかになってる気がしました。 もしかしたら土曜日だったからかも(;^ω^)       久しぶりのペナンで、あまり観光客は行かない、いや居住者であってもあまり行かない場所に2ヶ所行ってきました。   一つ目は、戦争博物館です。       ここは実はペナンに住む日本人の方と行ったのですが、蚊はすごい多いし噛まれるし、雨は降るし…ということで、内容はあまり見てないのですな(;^ω^) 基本的にマレーシアは暑いので、屋内でエアコンがガンガン効いた博物館なら、じっくりと内容を読むことができるのですが、屋外の展示は暑いのでとりあえず適当になることが多いのです。   なので、要点をまとめますが、もともと英国軍が使っていたこの場所を、日本軍が接収してからどんなことをしてきたかがそのまま残っている場所です。 まあ処刑も多くしてきたみたいですので、あまり好ましい場所ではないみたいですな。 数年前までは手付かずでジャングルになってたようです(^_^;)     2つめは、日本人墓地です。       とはいえ、日曜日は墓守さんもいないのか、入ることはできませんでした。     門の外から黙祷を捧げて引き返しただけです。 ってか、仮に入れても、暑いので、すでにバテバテなのですな。 ペナンの日本人墓地は、イポーと同じくらいに小規模です。   大半はからゆきさんのお墓のようです。   近くには、ペナン日本人学校がありました。...

ペナンで出会った2人のおばちゃんと、ふと気づいたこと

コムタ近くのコイテオスープ屋Kim Leeの前で、オタオタとクエラピスを売っていたおばちゃん。 いきなり『あんた日本人?どこから来たの?神奈川?大阪?』と聞いてくるので、なんで東京じゃなくて神奈川なんだww と思ったが、なんと日本に住んでいたというので、どこに住んでいたの?と聞くと、『広島だ』と。 あれま、珍しい。 何でも、日本人と結婚して広島に住んでいたが、旦那さんが亡くなられて、言葉もあまりわからないため、マレーシアへ帰ってきたと。 広島のどこに住んでいたのか?と日本語で聞いたが、通じていなかったようだ。 英語で聞いておけばよかった。 写真を撮れというので、撮っておいた(^_^;) ペナン2日目は、自転車を使って食べ歩きしながら、ペナン北部をぶらぶら回ってたんですな。 ジョージタウンからガーニードライブ、それからタイ・ミャンマー寺を通って、スンガイピナンフードコート、五条路、コムタと。 その時に、ガーニードライブ近くのSpade’s burgerのあたりで、盲目の白杖を持ったお爺さんに、声をかけられたんですな。 なんでも、道に迷ってしまった。Jettyに戻ってフェリーに乗ってバターワースという対岸に戻りたいと…。 その為、バスに乗りたいんだが、どこにバス停があるか分からない。どこにあるか? と言われました。 ペナンに1日や2日だけの旅行者の僕にはいろんな意味で荷が重い難題ですな。 ペナンの交通システムとか分かんないし(^_^;) まぁ僕は、マレーシアのバスの乗り降りのシステムは知ってる事と、目の前の道路はjettyに繋がる大きい道路なので、このあたりのバスに乗れば、方向が逆でない限り、Jettyには行くだろうという事はなんとなく分かる。 で、確かに100m離れたくらいのところに、バス停はあるんですな。 しかし、僕は盲目の人を手助けする知識がないんですな。 白い杖は触ったら駄目だったと思うし。 まあ手を引っ張ってバス停に連れてってもいいのですが、そういうことをしてもよいのか?また本当にそのバス停でちゃんと目的地に着くのか?という事もはっきり分からないのですな。 ちょっち待ってよお爺さん、俺ジャパニーズだし、あんまり分かんないぞ(;´∀`) と、お爺さんに一言話してましたが、ってかよく考えたらこのお爺さんの年齢は、下手すると日本軍が侵略したあたりの年齢じゃまいか?と思いましたね。 思いっきり戦争してた世代だったりして…(;´∀`) まぁそういうことはさておいておいて、『ふむう、さてどうしたものか』と思っていたら、近くにメルセデスが止まっていて、おばちゃんがでてきたので、『すいません〜、ちょっと力を貸してください〜』とお願いしたんですな。 オバチャンは内容を確認した後に、あっさりと、ああそれなら私の車で Jettyまで送るわと。 という事で、『どうもお願いします〜』ということで終わったのですが、なかなかメルセデスのオバチャンはカッコよかったですな。 確かに居住してて地理感があって、車もあればその手は使えます。 100歩譲って、その盲目の人が実は悪で…なんてことも絶対にないとは言えませんが、まぁ見た感じ、それはないでしょう(;´∀`) ここで思ったのは、地理感とか車とかを抜きにして、僕は、色々ハンディを持っている人を手助けする正しい手順や方法を知らないと言うことですな。 確かに学校で習ったことはないし。 あと、弱い立場の人の目線から、順々に社会は作られるべきではないか?と感じました。 まぁ残念ながら、今の日本は強い者は何をしても良いんだ!弱いやつは自己責任だ!従属しろ!権利を棄てても義務は棄てるな!国家のために命を捧げろ!!という修羅の国になっていますが………(;´∀`) せめて、小学校くらいのときに、様々なハンディを持つ人を手助けする方法や基礎知識くらいは学んでおきたかったなぁ… と、 ふと、、クソ暑い南国でボロボロの自転車をこぎながら思ったのでした。...

格安航空会社エアアジアの機内Wifiサービス ROKKI

  いつもエアアジアを使っているのですが、初めて機内wifiサービスがあることを知ったので、ブログに書いてみましょうヽ(´▽`)/   いままでこんなサービスがあることを知らなかったですね。   全然周知してないですな。   有料と無料の2つのサービスがあります。   有料サービスには、 機内で通常のインターネットが使用できるもの チャットプランというWhatapps、Wechat、LINEなどのSNSが楽しめる少し安めのタイプ の二種類があるようです。   無料サービスでは、エアアジアが選んだ動画や音楽が無料で楽しめます。     機内にて ROKKI に接続。               ROKKIに接続後、https://www.rokki.com/に、ご使用のブラウザでアクセス。 機内に4Gなどはないので、このアドレスを直接打たないと駄目だと思われます。 すると下記のようなページが出てきます         Krabi と出ているのは、Krabi行きの飛行機だったからだと思われます。     Get Internetを選択すると、有料プランを選べます。   すでに契約している場合は Have Plan、今から契約する場合はBuy Plan でしょうか。...

ミャンマーの旅で出会った人々

    ミャンマーの旅中に、メモを取っていたので、取りとめもないですが、とりあえずうp(≧∀≦*)         インレー湖のゲストハウスで、東京に住んでいる韓国籍の人に出会いましたぬ。 いわゆる在日の方です。 『日本人ですか?』 と聞いてみたら、 『いや韓国人。だけど日本語は完全に分かるんだ…』と。 すでに100カ国以上を旅したことがあるらしく、一風変わった感のあるおっちゃんでしたが、カックー遺跡に一緒に行きました。 韓国人なのですが、基本東京に住んでおり、ソウルに行くのは年に2回程度と。 普通の話をしてましたが、遺跡から帰るころには、安倍政権の批判が…。 あまりこういう話を聞くことが無いので、内容は分かるのですが、黙って聞いてました。 一番覚えているのはこの一言。 『311の時は、エクアドルにいたんだ。エクアドルでニュースを見てたから、当然状況は全て知っていた。まあ普通に帰ったけどね。』 『本当はもう東京は住めない場所なんだろうなぁ』       ゲストハウスで出会った、イケメンでなぜか部屋の中では常に裸でいる目のやり場に困るドイツ人はこう言っていました。   『昔は、中国製と聞くと粗悪品が多かった。だけど今は違う』   またこんなことも言ってましたね。   俺『ドイツは経済とか政治はどうですか?』 裸ドイツ人『経済は絶好調だね。むちゃくちゃいい。給与はできるならもっとほしいぜ。政治に関しては、…メルケルの移民政策で不満が高まっている。ドイツの金目当てに移民が増えた。治安も悪くなった。次の選挙でどちらに投票するかは分からない』 と、政治には不満があるようでした。     マンダレーで夕食を食べているときに出会ったシンガポーリアンには助けられました。 まあそんなだいそれたことではないのですが、中華料理を食べようとしたときに、店のおばちゃんは、ミャンマー語と中国語しか分からなかったので、意思の疎通が取れなかったのですが、近くで一人で食べていた大学卒業したばかりのシンガポーリアンが、代わりに注文してくれたのです。 彼は器用に中国語を話し、英語も流暢にしゃべれる彼は僕の間に立つことができるのです。   シンガポール人にもいろいろありますし、生きるために本当に大切なものは別のものかもしれませんが、英語・中国語ができて、世界的にも高い教育レベルを持ち、なおかつお金も持っている彼らは、紛れもなく21世紀の時代を乗りこなせていけるチケットを最低限は満たしていると感じます。   食べながらいろいろ話をしていましたが、彼の両親は実はマレーシア人で、結婚して長年シンガポールで住んでいるようで、ルーツはマレーシアなのですな。 なので、クアラルンプールにも詳しかった。...

ミャンマー(ヤンゴン)は日本人の移住地として向いているのか?否か?超個人的所感(;^ω^)

↑ レストラン内に貼ってあったもの。ミャンマーの人が好きな、ちょっと誇りに思っているらしいオバマとスーチー氏の写真   さて、ミャンマーの旅行から帰って2週間たちましたが、思い出しながらまとめてみたいと思います(*´∀`) 初めて訪れたミャンマー、今回は2週間の旅でした。 ヤンゴン - インレー湖 - マンダレー - バガーン、そしてヤンゴン。   道中、何度か日本人の人にも会いましたが、世界一周中です!とか、長い旅をしています!とかの人ではなく、一週間もないくらいの普通の旅行の人でした。   そう比べると、2週間の旅行というのは長かったように思いまつな その分余裕を持って様々なものを見ることができました。 いや、時間があるだけいろんなものを見たいと思うので、ずいぶん忙しかったですが。 ミャンマーといえば何を思い浮かべるでしょうか? 特定の企業名などを思い浮かべる人はいないと思いますが、やはりミャンマーといえば、アウンサン・スーチーがトップブランドなのだと思います。ってか2013年のカレンダーを未だに貼っているくらいですので、よっぽど気に入ってるんだろうな……(´・д`・;) 最初に言ってしまうと、個人的に、ミャンマーに滞在してきて感じたことは、今まで滞在した国とはずいぶん違う、奇妙な国だと思ったことだすな 調べてみると2015年の一人当たりのGDPが1200ドルとあるので、年間平均収入が12万円程度です。 割り算すると、毎月1万円。 とはいえ、経済も伸びていますし格差もあります。 ミャンマーに住んでいる人から聞くと、全国平均では現在は月収15000円くらいじゃないかと。 ただし、都心も田舎も山岳地帯も全て含めての賃金なので、ヤンゴンは2倍の月収30000円であって、山の中に住んでる人なら月5000円にも満たないかもしれません。 また、商業都市ヤンゴンと第二の都市マンダレーでは、マンダレーのほうがお金持ちが多いようです。 どうも中国マネーがマンダレーの不動産投資に入っているようです。(マンダレーは中国系ミャンマー人も多く、翡翠市場としてもなにかと中国と縁があるのでしょう。外国人はミャンマーでは土地は購入できないのですが、中国人富豪が、中国系ミャンマー人を通じて金を出しているようです…。ちなみにマンダレーの人は、マンダレーは優しい人も多いけど、ヤンゴンは汚いし嫌いだねと…。どこの国も首都の人に対する嫌悪感が合ったりするようです。大阪と東京みたいなもんですな……) とはいえ、正直いうと、意外と給与があるなと思いました。 とはいえ、現状、まだ所得が低いのは間違いないです。 まず2週間滞在して思うことは、その所得の低さからは考えられないほどの治安の良さですな。 場所にもよるので一概には言えませんが、ヤンゴンのダウンタウン周辺であれば、夜中一人で歩いてもさほど気になりませんね。 悪い雰囲気がありません。 夜に一人で歩く外国人など、はっきり言って狙い目だと思うのですが、そういう目線もありません。 まるで無関心です。 ですが、その治安の良さとは正反対に、 礼儀正しくない 親切心の無さ 自国同胞の違う人種への強烈な差別意識 数年前まで軍事独裁政権だった頃の空気 なのがミャンマー人の特徴かと思いました。 (もちろん全員ではないですな。すごく良い人も沢山いました(ノ∀゚*)) そりゃ基本、外国人旅行者が自国に旅行しに来たらみんな当然優しいですお。 だって金を落としていくお客さんですから。 だから基本どんな国でも、外国人には優しい。 でも、良い人はいますが、全体的には、無教育で社会性もあまり高くないと感じました。 人を呼ぶときに思いっきり指で指しますしねぇ。...